第4部 破綻する「廃寮」化攻撃と本裁判突入

説得隊の大動員事態
 「明け渡し」仮処分攻撃で明寮・北寮・中寮三棟からの追い出しに失敗するや、学部当局はすぐさま「寮問題を第三者の公的判断に委ね」るいう態度を翻し、直接暴力による「廃寮」化攻撃を行ってきます。97年6月28日(WebPage製作者注:こちらに写真資料があります、またも寮施設の暴力的破壊工事が強行されました。「第三者公的判断」と言った舌の根も乾かぬうちに暴力工事を強行する学部当局の姿。「法的措置」が暴力工事と同じく、駒場寮を「廃寮」するための手段であることはもはや誰の目から見ても明らかでした。
 この日、学部当局は、これまで再三行ってきたようにガードマンを大量導入し、学生の抗議を暴力的に封殺しました。工事中止を求め、「法的措置」にも暴力にも反対して、駒場寮問題を学内での理性的な話し合いによって解決することを呼びかけてきた寮生に対し、もはや話すことは何も無いとばかりに、ガードマンを用いた強制排除や重機による強行的破壊が、白昼堂々くりひろげられたのです。
取り壊し工事
97年6月28日〈寮裏庇・渡り廊下・寮風呂取り壊し工事〉駒場寮への突入に成功したヘルメット達。文字通り暴力により破壊工事が強行された
 渡り廊下の上に乗った人間を引きずり下ろし、人が上に乗った渡り廊下をそのまま重機で破壊し、人を渡り廊下もろとも叩き落とす、その様からは、自ら語った「寮問題を第三者の公的な判断に委ね」「話し合いを今後も継続してゆくことに変わりはない」という姿勢は微塵も感じられませんでした。この日、ガードマンの直接暴力により4名が救急車で運ばれ、十数名が負傷しました。教職員がいつもながらそれを傍観していたのは、残念ながら言うまでもないことです。また、寮生に対し北寮裏の庇と渡り廊下のみを取り壊すと言明したにも関わらず、抜き打ちで寮風呂の取り壊しも行われました。
 明寮取り壊しが不当とはいえ曲がりなりにも裁判所の決定に従っていたのに対し、この北寮裏庇・渡り廊下・寮風呂の取り壊しは、裁判所の決定すら出ていない部分に対する、全くの直接暴力によるものでした。学部当局の言う「話し合い」とは一体何なのか。そして、「公的判断」とは何なのか。「法的措置」は駒場寮問題を解決するために行うもの、と言い張る学部当局に対し、我々学生は常に疑いの目を向けることを忘れず、断固として「廃寮」反対の声をあげていかなければならないのです。

第二次「占有移転禁止」仮処分・本裁判申し立て
 97年8月7日、96年9月10日の20名に対する「占有移転禁止」仮処分に加える形で、第二次の「占有移転禁止」仮処分の執行が、駒場寮自治会・全日本学生寮自治会連合(全寮連)・東京都学生寮自治会連合(都寮連)の三団体と24名の個人に対して行われました。この仮処分も前回と同様、「20+24名と三団体が寮全体を共同占有している」という虚偽の申請に基づくものでした。実際は、寮生数はその倍以上駒場寮に居住している上、申請の中には駒場寮の寮生ではなく、駒場寮を占有していない者も多数含まれていたのです。中には、「駒場寮廃寮に反対する集会に参加していたから」という程度の理由で名前が挙げられた人間も存在しました。また、寮生個々人が寮全体を共同占有しているという事実はなく、駒場寮自治会に使用を許可された部屋のみを占有しているに過ぎなかったのです。
 前回と同様に、虚偽の申請が行われたわけですが、二回目の仮処分ではじめて駒場寮自治会の存在を認めざるを得なくなっているという事実は、前回の仮処分での学部当局の申請が、いかに滅茶苦茶で支離滅裂なものであったかということを証明していると言えるでしょう。
 さらに97年10月1日には、この誤った占有認定に基づいて、駒場寮の北寮・中寮を対象に「明け渡し」本裁判の申立が行われました。

97年6月28日寮裏庇・渡り廊下・寮風呂取り壊し工事強行
97年8月7日第二次「占有移転禁止」仮処分執行
97年10月1日「明け渡し」本裁判申し立て

「明け渡し」裁判の直面する問題点
 「明け渡し」裁判は現在まで、学生・寮生の反対を全て踏み潰す形で強行されてきました。学内の反対意見を無視し、決定においてすでに不当だった駒場寮「廃寮」を強行するため、学内問題である駒場寮問題を裁判所に扱わせてしまうことで、実際に様々な矛盾が発生しています。そもそも、「明け渡し」裁判はどこが問題なのか、駒場寮問題を裁判で取り扱うことが可能なのか、もう一度考えてみる必要があります。

・駒場寮問題は学内問題である
 大学内の問題は、大学内での民主的かつ理性的な話し合いにより解決していくべきです。駒場寮問題はもちろん、東大教養学部駒場キャンパスの駒場寮に関して、学生の意見を踏まえ、駒場寮を存続させるかどうかという問題であり、学内問題であることは言うまでもありません。駒場寮問題を「法的措置」に持ち込むことは、例えばその他のキャンパス再編/カリキュラム再編などの問題に関して、裁判所に判断を委ねてしまうのと本質的に同じことです。なぜなら、駒場寮問題はあくまで、学生のための寮である駒場寮の存続についての、キャンパス再編問題/カリキュラム再編問題などと同じような大学内の問題、根本的には大学における意思決定のあり方に関わる問題であり、決して、単に建物に住み続けている人間とそれの「明け渡し」を求める管理者の問題ではないからです。たとえ裁判で寮生追い出しに「成功」しても、それは駒場寮問題の解決とは呼べないのです。
・そもそも駒場寮「廃寮」自体が不当である
 「明け渡し」裁判は何のために行われているのでしょうか?
 駒場寮「廃寮」強行のために、駒場寮から寮生を追い出すためです。
 「明け渡し」裁判が駒場寮「廃寮」強行のために行われている以上、駒場寮「廃寮」自体の正当性について考えないわけには行きません。駒場寮「廃寮」計画がその決定過程に重大な問題を持っている、すなわち学生・寮生と一切相談無く/計画の存在自体を隠蔽したまま「決定」した全く無効なものであり、またその後も様々な形での学生・寮生の意見に耳を貸すことなく、それどころかそれを完全に踏み潰す形でむりやり押し進めてきたということはこれまで述べてきたとおりですが、このように決定過程・決定後の当局の対応ともに非常に不当な駒場寮「廃寮」を、裁判/裁判所の力も借りることによって、とにかく押し進めようというのは全く許せないことであると言えるでしょう。また、「第三者の公的判断」などという欺瞞的な言葉とは裏腹に、実のところ「明け渡し」裁判は、学部当局からすればまさに電気・ガス停止やガードマン導入と同じく、「廃寮」強行のための道具に過ぎないものです。
・実際に訴訟上においても矛盾が発生している
 このような「明け渡し」裁判の問題点は、単にその理念や経緯の問題にとどまらず、実際に学部当局・国側による訴訟上の主張内容においても矛盾をあらわにしてきています。例えば、学部当局・国側は裁判の書面において、『東大ポポロ事件判決』を引き、「大学自治は教授会の自治である」という主張を行っていますが、このような考え方は、『東大確認書』(ポポロ事件判決より後の1969年に締結)によって明確に否定された筈でした。また、申立によれば「駒場寮には数十名の者しか住んでいない(しかも、多くの学外者を含む)」とされていますが、これも全くのデタラメであって、実際駒場寮には百名以上の寮生が住んでいます(もちろん東大生のみ)。このような矛盾が発生してしまうのは学部当局が学内問題である駒場寮問題を、その本質に触れることなく、単なる管理権の問題で片付けようとしているからです。また、裁判においては、学部当局が、自らの判断で提訴したにもかかわらず、学内問題である駒場寮問題の当事者ではない、国側の訟務検事に主体性を奪われてしまうことも、さらに矛盾を増大させる結果となっています。
・一番変わらなければいけないものは何か?
 駒場寮問題を通して一番変わらなければいけない、しかし全くと言っていいほど変わっていないものは何でしょうか。それは結局のところ、電気・ガスストップやガードマン導入、「明け渡し」裁判など、あらゆる手段を用いて、何が何でも寮生を駒場寮から追い出してやろう、そして寮から寮生を追い出しさえすれば駒場寮問題は解決するのだ、という学部当局の態度なのではないでしょうか。しかしこれまで何度も繰り返して述べてきたように、駒場寮問題は寮生をむりやり叩き出して解決できるものでは決してなく、大学内での民主的かつ理性的な話し合いによってはじめて解決出来るものなのです。駒場寮問題が単に寮生を追い出す/追い出さないという問題ではない以上、何が何でも寮生を追い出す、という学部当局の変わらない態度はそもそも「的外れ」でしかないのです。いまこそ駒場寮問題の本質的解決のため、学生が大きく声を上げていくべきときではないでしょうか。

放火を利用した停電攻撃
 98年9月3日午前5時過ぎ、寮食堂南ホールから出火がありましたが、寮生の初期消火の尽力もあって、まもなく消し止められました。寮生の後日の調査により、放火に使われた燃料や放火箇所が十カ所以上発見され、この出火は計画的かつ組織的な放火であったことが明らかとなりました。これに対し学部当局は、出火当日のうちに南ホールを封鎖を画策し、さらには南ホールへの電気供給すら秘密裏のうちに業者を使って寸断したのです。駒場寮は96年4月の学部当局の電気ストップ攻撃により停電状態に追い込まれたため、かろうじて通電していた寮施設の一部である寮食堂南ホールから電気を引き、少ないながらも廊下や各部屋に電気を供給していました。しかしこの放火に乗じた電気回線の寸断によってこのわずかな電気すら断たれてしまったのです。
 この放火後に学部当局のとった対応は、およそ大学の管理主体として信じられないものと言わざるを得ません。まず第一に、計画的かつ組織的な放火という重大な犯罪行為に対して、事件の真相究明、損害を受けた設備の修復などといった対策を全くしようとせずに、これを学生の生活破壊のために利用としたということです。事件の真相を究明したり、放火による損害を修復するのは大学施設の管理主体として当然のことです。しかしこれらを寮生が要求しても学部当局は全く聞き入れようとはしませんでした。そればかりか放火の消火やその後の夜間の自主的警戒などに尽力した寮生に対して、電気の寸断という極めて非人間的な攻撃を行ったのです。駒場寮「廃寮」強行のためには放火すら利用するという姿勢は、学部当局の「廃寮」に突き進む根拠が全く不当なものであり、また社会的な理解を得られるようなものでも決してないことを証明しています。さらには犯罪的行為に対してまともな対応をとることなく、それを利用すらするということは、こうした行為を容認し、助長することにつながるのです。これを国立大学が行ったということの「犯罪」性は決して許されるものではありません。次に、学生の自主活動スペースとしての南ホールを封鎖しようとし、修復を拒否し、電気を止めたことです。南ホールは駒場に数少ない大規模な自主活動スペースとして大規模な音楽練習などに活発に利用されていました。学部当局はこの学生の自主活動・サークル活動スペースを、放火を利用して「廃寮」推進のために犠牲にしたのです。最後に、寮生の再三の要求、そして2100筆にものぼった電気復旧と南ホールの修復を求める署名も黙殺したことです。もはや学部当局は、自らの行為に関して説明どころか弁解すらできないような末期的な状況に陥っているのです。
 この放火以来、駒場寮は照明がつく部屋がわずか4部屋だけとなり、100名もの寮生は半年以上の長期間、極限的な生活を強要されることとなったのです。夜になると部屋は闇に閉ざされ、冬は寒さに震えることとなりました。問題の一方の当事者は安全な場所で税金を違法に使って、もう一方の当事者を生活できないような状態に追い込み、そのことによって屈服を迫る。これがいかに暴力的で野蛮な攻撃であるか、そしてこの問題がいかに異常な枠組みで進められているかが、まさにこの電気停止にあらわれているのです。
 現在駒場寮は、発電機により少しだけ電気状況は改善されました。しかしキャンパスの他の施設で煌々と灯りがともる中、駒場寮だけ電気が止められているということの異常性、暴力性、「犯罪」性については常に意識して欲しいと思います。

98年9月3日学部当局、放火に乗じて秘密裏に南ホールへの電気供給を停止
99年1月24日南ホール取り壊しフェンス工事→中止
99年2月3日南ホール取り壊しフェンス工事強行

南ホール取り壊し強行
 99年1月24日午前5時過ぎ、多くのサークルの活動場所として広く利用されてきた、学生の自主的活動の場である南ホールを取り壊すためのフェンス設置工事が、200名以上のガードマンと作業員、100名以上の教職員を動員して強行されました。南ホールの暴力的取り壊しには、2100筆以上の署名・13のクラスアピール・代議員大会決議・自治団体共同アピールなどにより、学内でも大きな反対の声が上がっていました。学部当局はまたしても、学生の反対には目もくれず、危険な工事を強行してきたのでした。

南ホール取り壊しフェンス工事
99年1月24日〈南ホール取り壊しフェンス工事〉学部当局は多数のガードマンでの暴力的排除により、工事中止を求める学生の声を圧殺した。
 この日、学部当局がキャンパスに人の少ない日曜日を選んできたにも関わらず、南ホールの前には、取り壊し強行に反対する学生・寮生などが100名近く集まり、工事の中止を学部当局に求めました。しかし学部当局は「話し合う事は何も無い」と明言し交渉すらも拒否した上、圧倒的多数のガードマンにより学生を物理的に排除し、あろうことか、「邪魔すると機動隊が入ってくるかも知れない」と警察力を用いた恫喝をかけることで、反対を押しつぶそうとしてきたのです。また、破壊工事の様子を取材に来ていたマスコミに対しては何ひとつ説明を行わず、「マスコミは出ていけ」という態度に終始し、「学外者退去命令」なる文書を突きつけて不当な追い出しを行いました。これは、この日の工事が一片の道理もないことを学部当局自身も自覚していたからこそ、社会の目から隠蔽したということにほかなりません。
 しかし、大量のガードマンを用いた強制排除・警察力を用いた恫喝などの様々な攻撃にも屈することなく、多くの学生が結束して工事中止を求め続けた結果、学部当局は工事を完了できぬまま日没を迎え、ガードマン達は引き上げていきました。
 ところが、学生が期末テストで忙しい2月3日、再度の抜き打ち工事が前回を上回る300人以上のガードマ ンを動員して強行されました。学生一名にガードマン十数人が襲い掛かるという状況の中でフェンスは完成し、数ヶ月で南ホールは完全に取り壊されてしまいました。我々学生は南ホールの暴力的取り壊しを糾弾すると共に、これからも学生の活動の場を守るべく、結束して闘って行かねばならないのです。

学生投票の批准と話し合いの気運
 「廃寮」宣言から本裁判突入以降の学部の攻撃は、そもそも学生を大学における意思決定主体と認めず、寮生を叩き出すためならいかなる手段も厭わないという学部当局の態度を一層鮮明にしました。

学生投票
99年12月に行われた学生投票を呼び掛ける12枚看板。「廃寮」宣告後3年半が経ち、殆どの学生が入れ替わったにも関わらず、いまだ学生の声は「話し合いによる解決」を求めていることが示された。
 このように、学部の「廃寮」化攻撃の破綻が明らかになる中、地裁判決を間近に控えた99年12月、実に3年ぶりの学生投票が行われました。駒場寮の廃寮をいったん取りやめ、話し合いによるこの問題の解決を呼びかける学生投票は、広範な学生の支持を受けて、批准されました。駒場寮の「廃寮」宣言後初めて、寮問題を学生と話し合えという学生投票が批准されたのです。学生投票は、学生が大学自治の原則に則り、駒場寮問題の大学内での民主的な話し合いによる解決を望んでいるということを示しました。また、学部の進める寮生学生を排除する形での暴力的駒場寮廃寮化路線に対する学生の不支持の表明でした。
 学生投票において示された、話し合いを求める学生世論の高まりの中、駒場の6教官が、駒場寮と学部執行部とのパイプ役として非公式ながらも名乗りを上げるなど、教授会内に於いても、寮問題を話し合うという雰囲気が生まれてきます。
 しかし、学部当局は、話し合いを求める我々を、ことごとく拒んできました。学生投票結果に基づく学部長交渉の要求は拒否されました。それにとどまらず、東大新聞紙上における浅野教養学部長の学生投票に対する見解や、3月の学部交渉において、学生投票は学生の多数意見を反映していないなどと、学生投票は全く意味がないといわんばかりの言説を連発したのです。
 学部当局のこの態度は、学生投票に示された学生の意思表示を否定し、学生を愚弄するものです。話し合いによる駒場寮「問題」の解決を拒否し、裁判の時間切れを待っての「解決」を狙う学部当局の態度は、学生を意思決定主体として認めていない学部当局の態度を如実に示しているものといえます。
学生投票結果
主文1:「東大教養学部当局は学生・寮生との合意なく、一方的に駒場寮の「廃寮」を決定し、強行的におし進めてきました。学部当局に対して、駒場寮の「廃寮」計画をいったん取りやめ、学生との合意に基づくキャンパスづくりを行うよう求めよう。」
有効投票 4115賛成 2343反対 1341白票 431

「廃寮」強行の梃子としての地裁不当判決
 3月28日には、駒場寮の「明け渡し」を求める第一審不当判決が下されます。またこの判決には、国に対して強制執行を認める「仮執行」宣言が付帯していました。第一審判決についての解説がこちらにあります。
 このような地裁判決に対して駒場寮自治会は即刻高裁へ控訴を行うと同時に、強制執行差し止めの手続きを裁判所に対して行い、「理由がある」として我々の主張は容れられました。
 判決は、駒場寮自治会の主張する「廃寮」の不当性、占有認定の杜撰さ、大学自治の問題などがほとんど考慮されず、国有財産法に立脚した国の主張をそのまま書き写したにすぎない不当なものでした。学部の言うところの「第3者の公正な判断を仰ぐ」は、このような不当判決を想定してのものだったのです。
 このように地裁判決は、裁判が駒場寮の「廃寮」を強行するための梃子に過ぎないということを、改めて浮き彫りにしました。学部が「第3者の公正な判断を仰ぐ」として行われた法的措置の欺瞞性を最も顕著に示したものが、この地裁判決なのです。
1999年12月13日〜17日学生投票実施、寮問題、独法化両主文批准
2000年3月28日東京地方裁判所で第一審判決が下される
2000年3月31日東京地方裁判所で強制執行の停止が決定される

警察との懇談会問題の発覚 (WebPage製作者注:詳しい資料がこちらにあります)
 このように裁判情勢が進展していくなか、新たな事実が発見されます。警察と学部との懇談会です。これは、少なくとも94年から95年にかけて、学部長を含む学部執行部と警察とが定期的に懇談しているという事実が発見されたことに端を発します。そもそも学部と警察とが秘密裏に懇談するという事自体、東大確認書違反の学生、教職員への背信行為なのですが、その上、その席上に永野氏、小林寛道氏が「三鷹特別委委員長」という肩書きで参加していたことから、これが96年からの暴力的「廃寮」化攻撃に向けての学部と警察との打ち合わせが行われたのでは、という疑惑が急浮上しました。
 2001年2月の学部交渉では、懇談会は毎年行われていた、入試等における警備のための打ち合わせである、金は、浅島氏が出ていたときは私費で参加していたものの、永野氏が出ていたときは公費が出て監査も通った、駒場寮問題について話し合っていない、最近までやっていたが現在はやっていない(「現在」がいつを指すのかは定かではないし、今後やらないということは何ら保障できません)、という回答が得られました。
 たとえ駒場寮と関係ないといっても、そもそも東大確認書違反の、警察との懇談という行為が、公にされずにいたこと自体すでに問題であるのです。学部執行部はこのことにかんして何ら反省の色を示さず開き直っています。また、駒場寮問題との関係について学部からの納得のいく説明は何らなされていません。いずれにせよ、駒場寮問題を引き起こした学部当局の陰湿な体質が、ここに明確に見て取れると思います。

 教育研究機関である大学において、自らの問題の解決のために暴力的手段を用いることが許されないことであるのは言うまでもないことです。さらに、ここで見逃してはならないことは、学部当局は一方で「話し合う用意がある」というようなことを言いながら、また97年からはそれに加え「寮問題を公的判断に委ね」るとして「法的措置」を持ち込んでおきながら、他方ではそれとは裏腹に度々このような暴力工事を繰り返してきたことです。これが、理性的な話し合いにより、駒場寮を残したいと主張する学生への答えなのでしょうか。
 「とにかく駒場寮は何としても潰す。」駒場寮への実力攻撃には、学部当局の駒場寮問題への態度が凝縮されています。「当局の意志に従わないものはツブす」「学生は意志決定の主体ではない」ヘルメットと制服に身を包み駒場キャンパスに現れたガードマン達の姿が、それらを雄弁に物語っているのです。

駒場寮問題の本質的解決に向けて
 「廃寮」計画の不当性について、長々と考察してきました。ここでまとめてみましょう。大きくは二点に分けることが出来ると思います。
南ホール取り壊しフェンス工事2
99年2月3日〈南ホール取り壊しフェンス工事〉期末テストのある日の早朝、駒場寮の扉をガードマン達の「肉の壁」が塞ぐ。寮生だろうが誰だろうが、出入りも許さない。

  1. 当事者不在の決定であること
     91年10月9日の臨時教授会で抜き打ち的に「廃寮」が決定されたことは揺るぎない事実です。その後一貫して学生の反対を無視してきたことも、合意形成がなされていないという点で、ここに大別することが出来るでしょう。
  2. 学生自治への攻撃であること
     当事者不在の駒場寮の「廃寮」決定は、それ自体が学生自治への攻撃であることはもちろんですが、それにとどまらず、学生自治にとって重要な役割を果たしてきた駒場寮が攻撃の標的とされたことが非常に問題です。駒場寮「跡地」計画=「CCCL計画」が学生自治の文脈から切り離され、ことさらに学部当局と学生との「対話と協調」(=説明と追従)が喧伝されていることは、逆に駒場寮「廃寮」が学生自治潰しであることを物語っています。
 (1)と(2)の問題性を同時に解決するには、誠実な交渉によるほかありません。その実現のためには、「廃寮」に反対する学生側が一致団結することで、学生に対する学部当局の一方的押し付けの構図を清算せねばなりません。皆さん、共に駒場寮存続に向けてがんばりましょう!

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