本性を露呈させた実力行使
これまでお伝えした通り、駒場寮の「廃寮」計画について、学内合意は一切ありませんでした。合意形成がなされなかったばかりでなく、合意形成に向けた努力すらなされず、当事者である寮生・学生の反対をあくまで押し切ることに最大の努力が払われてきたのです。そして96年4月、学部当局は「廃寮」を宣言しますが、いくら言葉の上で「廃寮」を強調しても駒場寮は「生きて」いましたし、「生きる」意志を強く持っていました。その意志は、名実共に駒場寮を「殺そう」とする学部当局の暴力によって逆に一層強化されたのです。学部当局は、駒場寮を確かに「殺そう」としていました。そしてそれを実行するために手段を選びませんでした。それが可能である背景には、学部当局の権力があることを我々は見逃しませんでした。当事者がノーと言っていることを無理やり強制することを可能にする実力行使の権限、これは暴力と呼ぶ他ありません。「廃寮」問題の根底には、権力の問題が厳然と横たわっているのです。駒場寮存続運動が即ち権力の横暴との闘いであること、さらにそれとの闘い抜きに駒場寮が「生きる」ことは不可能であることを目に見える形で寮生・学生に突き付けたのが、学部当局の一連の実力行使でした。そしてこれこそが「廃寮」計画の不当性、さらには学部当局の本性を暴き出すものだったのです。ここからは、駒場寮に対して行われた不当な実力攻撃について見ていきたいと思います。
![]() 大量動員された説得隊。「説得活動」と称し、寮生に対する不当な恫喝や、スパイ活動を行う。(写真は中寮入口) |
![]() 寮内に侵入した説得隊。学部当局は説得隊で寮外生への「危険」イメージ作りをも狙う。手前は生井澤教官(物理) |
駒場寮「殺し」激化
学部当局は駒場寮「廃寮」計画を秘密裏に決定し、寮生・学生の反対を押し切って「廃寮」を宣言しました。合意形成の努力など一切払われなかったのです。我々は、このような不当な態度に出る学部当局に敢然と立ち向かい、駒場寮は「廃寮」後も「生きて」いました。「廃寮」を強行するためには、「生きて」いる駒場寮の息の根を文字通り止めねばなりません。説得隊導入の初日の深夜、さらに2日後の未明と寮生を焼き殺そうとする放火事件が寮内で続発し、駒場寮を巡る緊張が高まる中で、学部当局が説得隊工作に続いて執った作戦は、ライフライン遮断でした。96年4月8日午前10時過ぎ、駒場寮の電気・ガスは突然ストップしたのです。全て学部当局によって綿密に仕組まれた作戦でした。
| 96年4月1日 | 学部当局、「廃寮」宣言 |
| 96年4月2日 | 説得隊導入 |
| 96年4月8日 | 電気・ガス供給停止(+オトリ説得隊) |
| 96年4月8日 | 寮裏渡り廊下破壊(+オトリ説得隊) |
| 96年4月11日 | 説得隊、施錠封鎖 |
| 96年4月24日 | 寮裏渡り廊下破壊策動→阻止 |
| 96年5月1日 | 説得隊、ビンタで暴行 |
| 96年6月3日 | 寮自治会所有の電気ドラム数十個を窃盗(+オトリ説得隊) |
| 96年6月7日 | 説得隊員下井教官(化学)、窓ガラス破壊 |
電気・ガスストップ
96年4月8日午前10時、いつものように説得隊が駒場寮に押し寄せてきました。説得隊は不当だから寮内侵入を止めるようにと寮生らが説得していると、突然寮内の電気が消えました。「何がどうなっているのか分からなかった」(寮生談)状況の中で、今度は寮の裏手でパワーシャベルが渡り廊下を破壊し始めました。ここに至り、説得隊が単なるオトリ作戦で、本命は電気・ガスのストップと渡り廊下破壊であることが分かったのです。説得隊に動員された教職員は数グループに組織され、オトリ作戦が効果的に実行出来るように寮内外各所に配置されていました。中には自分が電気・ガスストップのオトリであることすら知らされていない人もいたのです。
皆さんは電気・ガスがない現代生活を想像出来るでしょうか。勉強するにもパソコンを使うにも、食糧を冷蔵するにも、洗濯するにも、電気のない生活は到底考えられません。我々の現代生活は電気を前提に成り立っています。残念ながら、駒場寮にはランプもカマドもありません。電気・ガスのストップは最大級の生活破壊でした。このような非人道的な生活破壊を学部当局は「廃寮」強行の手段として用いたのです。これは民法の「自力救済」禁止原則にも反する重大な違法行為に他なりません。
駒場寮を「殺す」ためには手段を選ばない。電気・ガスのストップは、抜き打ち的に、しかも計画的に行われた違法行為であり、問題の本質的解決に逆行するものでした。
![]() 96年4月9日 電気停止に抗議する学生自治団体。この共同記者会見には、多くのマスコミが集まった。 |
![]() 96年4月9日 共同記者会見後の101号館への学生自治団体共同声明提出行動。永野評議員(当時)「人道的にはよくないが法的には問題ない」 |
「法的措置」への突入
何ら正当性のない「廃寮」計画を実力攻撃をもって強行しようとすればするほど、学部当局の暴力性が露呈するのみで、その不当性は覆うべくもありませんでした。全学投票に示されたように、学生側は誠実な話し合いによる解決を要求していましたが、彼らがそれに応じることは出来ませんでした。誠実な交渉は取りも直さず、日一日とその度を深める「廃寮」攻撃の不当性を認めることを学部当局に強いるものだったからです。
強行突破する以外に方策のなくなった学部当局は、96年6月教授会で『「法的措置」の学部長への一任』を「決定」してしまいます。学生自治を拠り所として正当な主張をする学生を訴えるという、前代未聞の決定がなされたのです。
![]() 96年9月10日〈占有移転禁止仮処分執行〉 なり振り構わず寮生を追い出そうとする学部当局は、「法的措置」にも手を出した。 |
「明け渡し」仮処分へ
寮側の執行異議申し立ては、異議申し立てとしては異例の3ヶ月という長期間、裁判所で審議されました。学部当局がそれまで黙殺してきた寮自治会を裁判所に認定させる成果もありましたが、結果的には斥けられる形となりました。
異議申し立てが決着すると、学部当局は即座に「明け渡し」仮処分を申し立てます。学生の結束した反対を恐れて、学生のまばらな春休みを狙ったのです。裁判所に提出された膨大な学部当局の「疎明資料」は、あからさまに学生自治を否定し、学部当局の管理権のみを強調する、虚偽と欺瞞に塗り固められた内容でした。「キャンパスプラザ」建設が、緊急に「廃寮」すべき理由とされましたが、実際には「キャンパスプラザ」の建設予定地を駒場寮の一棟(明寮)にほんの数メートルだけ重ね、「キャンパスプラザ」を「廃寮」の道具として利用してきたのです。「キャンパスプラザ」建設は、学生のためと称して、学生を裁判にかけて強行しようとする駒場寮「廃寮」とは一体何なのか。この単純かつ本質的な問いは、しかし裁判官の頭の片隅にすら生じることはありませんでした。法律の条文に照らして判断することだけが彼らの仕事だからです。
裁判所での審尋は、常に寮側有利で展開しました。学部当局・国側の主張が、虚偽と欺瞞であることが寮側弁護士の追及や我々の陳述書で次々と明るみに出たからです。学部当局と国の足並みも乱れました。その結果、彼らは三棟同時「明け渡し」を断念しました。ウソも百遍つけば・・という教養学部当局の低水準は裁判所には通用しなかったのです。しかし、明寮については、許し難いことに「明け渡し」決定が下され、第一次、第二次強制執行が行われ、文字通り寮生を引きずり出して寮を破壊するという未曾有の事態になったのです。
「法的措置」の問題
「法的措置」は多くの問題性を孕んでいますが、ここでは二点だけ指摘したいと思います。まず、「法的措置」の犯罪性を特徴付けるのは、当事者間での真摯な対話による解決への可能性を潰してしまうということです。「決着がつかないなら第三者の判断に委ねればよい」という意見は寮問題を完全に捉え間違えています。「第三者の判断に委ねる」ことが妥当性を持つのは、両者が最低限それに合意した場合に於いてのみです。寮自治会は一貫して「法的措置」に反対し、話し合いによって解決すべきことを主張してきました。話し合いはやめだ!と言わんばかりに学部当局が突き付けたのが「法的措置」なのです。「話し合いは学部当局も主張している」との意見もあります。しかし学部当局がどんな交渉を行ってきたのか、そして何より学部当局が「法的措置」に突入したという事実を、はっきりと認識せねばなりません。
次に、「法的措置」は学生自治を潰すということです。学生自治は、大学自治を支える上で欠くべからざるものとして、学生の自主的活動を通じて培われてきました。しかし学生自治には法律的な裏付けがある訳ではありません。従って、学生自治に関わる問題を裁判所に持ち込んでも、大学当局に軍配が上がるのは当然です。これは駒場寮だけの問題ではありません。学生自治の問題と不可分な「廃寮」問題をあくまで「法的措置」で決着させようとすれば、裁判所による学生自治への法律的否定に行き着かざるを得ないのです。
我々は、駒場寮の所有権が法律的に国にあることを否定しようとしているのではありません。寮建物が誰の所有か、などといった矮小な議論をするのは学部当局です。我々が問うているのは、寮という制度、そこで学生の手で創り上げられる自治、それは誰の(ための)ものかということです。裁判所の「お墨付き」で学生自治に死刑宣告しようとする学部当局の「法的措置」路線は、学生自身の手によって、阻止されねばならないのです。
| 96年9月3日 | 「占有移転禁止」仮処分決定 |
| 96年9月10日 | 「占有移転禁止」仮処分執行 |
| 96年11月28日 | 寮食堂南ホールへの電気供給停止(その後復旧) |
| 97年2月5日 | 学部当局・国側、「明渡断行」仮処分申請 |
| 97年3月19日 | 学部当局・国側、北中寮に対する申し立てを取り下げ |
| 97年3月25日 | 明寮「明け渡し」不当決定 |
暴挙を上塗りした強制執行
1997年3月25日、東京地裁は明寮についての「明け渡し」決定を出しました。我々は、この決定を不服としながらも、裁判所によって「明け渡し」対象者とされた寮生については、自発的に明け渡すことにして、3月28日(WebPage製作者注:こちらに写真資料があります)に裁判所の執行官や国側代理人に通知しました。ところが、彼らはその翌日、何の事前連絡もないまま(弁護士にすら!)大量のガードマン・作業員及び教職員を引き連れてやってきたのです。寮生が柔軟な態度であろうがなかろうがお構いなく、彼らは暴力的に叩き出すことしか考えていなかったのです。ものものしい雰囲気は、ガードマンの大量動員で彼らがデッチ上げたもの以外の何物でもありません。
これは寮生のみならず、学生に対する重大な恫喝行為です。学部当局に反対する学生の末路はこうだ!と言わんばかりに、彼らはその野蛮性を見せつけてきたのです。学生自治会は「何でも言える大学」をキャッチフレーズにしていますが、学部当局は「何でも言ってるとヤバイ大学」にしようとしているのです。これは、当事者間で解決すべき学内問題を裁判所に持ち込んだ時点で、不可避となった問題性です。
![]() 97年3月29日 〈第一次明寮「明け渡し」強制執行〉事前に任意に明け渡す旨を伝えたにもかかわらず、ガードマンを寮内外に配備して「厳戒体制」を演出し、ドサクサに紛れて「非債務者」まで追い出した。 |
| 97年3月29日 | 明寮「明け渡し」強制執行 |
| 97年3月30日 | 明寮フェンス工事→阻止 |
| 97年4月10日 | 明寮「明け渡し」第二次強制執行 |
| 97年4月12日 | 第二次明寮フェンス工事 |
「非債務者」を一切無視しフェンス設置を策動
大量のガードマンと作業員を動員し、ドサクサに紛れて「非債務者」叩き出しを行おうとした学部当局のもくろみは、寮側弁護士の奮闘により、当日時点で「非債務者」の占有する4部屋の強制執行を阻止することができ、完全には成功しませんでした。彼らの「誰彼構わず叩き出して完全にカラにする」目論みは破綻し、「明け渡し」申し立てのデタラメさ加減が白日の下にさらされたのです。
明寮強制執行と相前後するように、3月30日、学部当局は、明寮取り壊しの準備工事として明寮周辺へのフェンス設置工事を行おうとしてきました。学部当局は、29日の強制執行で全ての寮生の追い出しに失敗し、まだ4名の「非債務者」の寮生が明寮に居住しているにも関わらず、事前の予告無しに、明寮周辺にフェンスを張り巡らそうとしたのです。
![]() 97年3月30日〈明寮フェンス工事〉寮内に寮生が残っていたにもかかわらず、フェンスを設置しようとした。中止を求め、学生がフェンスの資材上で座り込む。 |
不当極まりない第二次「強制執行」
明寮に占有権を認められた4名の寮生について、新たな「法的措置」を講ずる以外に学部当局が叩き出す方法はありませんでした。そこでいつ、その手続きが始まるのか、誰もが警戒していました。
完全明け渡しが阻止されると、学部当局は占有権を認められたこれら寮生との交渉を行いました。任意明け渡しの説得工作でしたが、その場では新たな「法的措置」については一度も触れられませんでした。我々はしかし、いずれは同様の仮処分が掛けられ、その通知が来るだろうと考えていました。
ところが97年4月10日(WebPage製作者注:こちらに写真資料があります)、学生がオリエンテーションで忙しい中、またも大量のガードマンを引き連れ、突如として彼らはやってきました。仮処分の存在すら知らされないまま、文字通り抜き打ちの第二次「強制執行」に出てきたのです。第二次「明渡断行」仮処分決定は4月8日、秘密裏に出されていました。
![]() 97年4月10日〈第二次明寮「明け渡し」強制執行〉寮側の立会人も一切の説明も拒否され、説明を求め怒りの座り込みを行う学生。 ![]() 97年4月12日〈第二次明寮フェンス工事〉学生一人に対しガードマン10人以上がつかみかかり、身動きをとることさえも許さない。 |
ガードマン費用はどこから?
学部当局による駒場寮への「廃寮」攻撃とは別の観点から、見過ごせない問題があります。強制執行やその後の「警備」のために雇われているガードマンの費用問題です。こんなものは当然ながら「キャンパスプラザ」建設予算には含まれていません。
![]() 97年4月12日〈明寮フェンス工事〉スクラムを組みパワーショベルを守るガードマン |