第3部 「廃寮」宣言から実力「廃寮」化攻撃

本性を露呈させた実力行使
 これまでお伝えした通り、駒場寮の「廃寮」計画について、学内合意は一切ありませんでした。合意形成がなされなかったばかりでなく、合意形成に向けた努力すらなされず、当事者である寮生・学生の反対をあくまで押し切ることに最大の努力が払われてきたのです。そして96年4月、学部当局は「廃寮」を宣言しますが、いくら言葉の上で「廃寮」を強調しても駒場寮は「生きて」いましたし、「生きる」意志を強く持っていました。その意志は、名実共に駒場寮を「殺そう」とする学部当局の暴力によって逆に一層強化されたのです。学部当局は、駒場寮を確かに「殺そう」としていました。そしてそれを実行するために手段を選びませんでした。それが可能である背景には、学部当局の権力があることを我々は見逃しませんでした。当事者がノーと言っていることを無理やり強制することを可能にする実力行使の権限、これは暴力と呼ぶ他ありません。「廃寮」問題の根底には、権力の問題が厳然と横たわっているのです。駒場寮存続運動が即ち権力の横暴との闘いであること、さらにそれとの闘い抜きに駒場寮が「生きる」ことは不可能であることを目に見える形で寮生・学生に突き付けたのが、学部当局の一連の実力行使でした。そしてこれこそが「廃寮」計画の不当性、さらには学部当局の本性を暴き出すものだったのです。ここからは、駒場寮に対して行われた不当な実力攻撃について見ていきたいと思います。

説得隊の大動員事態
 96年4月2日、大量の教職員が突如駒場寮に押し寄せてきました。学部当局は駒場寮に「不法に居座る」学生たちに退寮を促すための説得活動と説明していましたが、説得とは名ばかりの恫喝・スパイ部隊として機能したのがこの説得隊です。
 当初は「寮自治会執行部が頑ななので、寮生個々人と自由に会話して事情を聞き、廃寮を納得してもらうためのもの」(学部当局関係者談)とされていました。「普段はなかなか話せない寮生と会話する貴重なチャンスだった」などの意見もありましたが、状況を的確に捉えた見解とは言えません。説得隊は、寮生との親睦のためにやって来たのではなく、あくまで恫喝・スパイ部隊として位置付けられていたので、それらの「有意義な」会話すら「廃寮」強行作戦の情報収集に利用されただけでした。また、恫喝やスパイ活動だけでなく、学部当局は説得隊によって、寮外生に対する「危険地帯」イメージ作りや、度重なる「説得活動」に対応するための寮生の精神的疲弊化さえも狙っていました。寮生が日常生活を送っている生活空間に、大人数の人間が突然、しかも学生に対して大学の教官という立場でまさに押し入ってくるのです。これは「生活破壊」以外の何ものでもありませんでした。まさに、学部当局は大量の教職員を動員した「説得隊」攻撃によって、駒場寮「廃寮」を強行しようとしてきたのです。

説得隊1
大量動員された説得隊。「説得活動」と称し、寮生に対する不当な恫喝や、スパイ活動を行う。(写真は中寮入口)
 個々の寮生の事情を聞けば聞く程「廃寮」は困難であること、まして押し付けの「廃寮」を納得させるなど不可能であることが分かるや、説得隊は強引な追い出し作戦を開始しました。空き部屋と認めるや否や、施錠したり木材をクギ付けして封鎖する、寮内の窓ガラスを叩き割る(下井教官)、勝手に人の部屋の写真を撮る等の実力行使を行いました。寝ている間にドアが封鎖されて部屋に閉じ込められた寮生もいました。彼らは、およそ大学の教職員がすべき行為から掛け離れた蛮行をほしいままにしたのです。このような信じ難い事態がこの駒場キャンパスで約5ヵ月も続きました。「廃寮」が遅々として進まなかったのは、寮生が頑固だったからとか、わがままだったからといった理由からではなく、「廃寮」計画自体の不当性に由来するものでした。だから不当な「廃寮」計画を強行しようとすればする程、学部当局は本性を露わにしつつ文字通り暴力的にならざるを得ませんでした。
 この説得隊が攻撃した対象は、寮生・学生にとどまりませんでした。学部執行部の暴走によって多くの教官が被害を受けたのです。教官は教え子を痛め付けるための公務員なのではなく、教育・研究をする公務員です。説得隊としてなだれ込んできた彼らが、逆に寮生にたしなめられて無言のまま帰るといった光景が数多く見られました。無給のまま研究時間を割いて狩り出されてくる様は、さながら戦前の国家総動員態勢でした。

説得隊2
寮内に侵入した説得隊。学部当局は説得隊で寮外生への「危険」イメージ作りをも狙う。手前は生井澤教官(物理)
 しかし説得隊作戦で最大の被害を蒙ったのは事務職員でした。「廃寮」決定は教授会が行ったものです。従って学生同様、彼らも「廃寮」決定に関与していませんから、その決定に対する責任を負う立場にはありません。しかし学部当局の立場で働かざるを得ない事務職員は、まさに学部当局の手足として「廃寮」強行に狩り出されたのです。説得隊は建前上"ボランティア"だったので完全無給でした。超過勤務に対しても手当は一切なく、建前上"ボランティア"なのでケガをしても労災認定は受けられません。事務職員は、学部当局言いなりの便利屋ではなく、事務をする公務員です。事務に対してのみ責任を負うべき事務機構が、学部当局の権力によって一夜にして「廃寮」強行装置と化すという恐るべき事態が生じたのです。これは現在まで改善されていません。もはやファシズムと形容すべき事態と言えます。「廃寮」はこのような問題をも学生一人一人に投げ掛けています。

駒場寮「殺し」激化
 学部当局は駒場寮「廃寮」計画を秘密裏に決定し、寮生・学生の反対を押し切って「廃寮」を宣言しました。合意形成の努力など一切払われなかったのです。我々は、このような不当な態度に出る学部当局に敢然と立ち向かい、駒場寮は「廃寮」後も「生きて」いました。「廃寮」を強行するためには、「生きて」いる駒場寮の息の根を文字通り止めねばなりません。説得隊導入の初日の深夜、さらに2日後の未明と寮生を焼き殺そうとする放火事件が寮内で続発し、駒場寮を巡る緊張が高まる中で、学部当局が説得隊工作に続いて執った作戦は、ライフライン遮断でした。96年4月8日午前10時過ぎ、駒場寮の電気・ガスは突然ストップしたのです。全て学部当局によって綿密に仕組まれた作戦でした。

96年4月1日学部当局、「廃寮」宣言
96年4月2日説得隊導入
96年4月8日電気・ガス供給停止(+オトリ説得隊)
96年4月8日寮裏渡り廊下破壊(+オトリ説得隊)
96年4月11日説得隊、施錠封鎖
96年4月24日寮裏渡り廊下破壊策動→阻止
96年5月1日説得隊、ビンタで暴行
96年6月3日寮自治会所有の電気ドラム数十個を窃盗(+オトリ説得隊)
96年6月7日説得隊員下井教官(化学)、窓ガラス破壊

電気・ガスストップ
 96年4月8日午前10時、いつものように説得隊が駒場寮に押し寄せてきました。説得隊は不当だから寮内侵入を止めるようにと寮生らが説得していると、突然寮内の電気が消えました。「何がどうなっているのか分からなかった」(寮生談)状況の中で、今度は寮の裏手でパワーシャベルが渡り廊下を破壊し始めました。ここに至り、説得隊が単なるオトリ作戦で、本命は電気・ガスのストップと渡り廊下破壊であることが分かったのです。説得隊に動員された教職員は数グループに組織され、オトリ作戦が効果的に実行出来るように寮内外各所に配置されていました。中には自分が電気・ガスストップのオトリであることすら知らされていない人もいたのです。
 皆さんは電気・ガスがない現代生活を想像出来るでしょうか。勉強するにもパソコンを使うにも、食糧を冷蔵するにも、洗濯するにも、電気のない生活は到底考えられません。我々の現代生活は電気を前提に成り立っています。残念ながら、駒場寮にはランプもカマドもありません。電気・ガスのストップは最大級の生活破壊でした。このような非人道的な生活破壊を学部当局は「廃寮」強行の手段として用いたのです。これは民法の「自力救済」禁止原則にも反する重大な違法行為に他なりません。
 駒場寮を「殺す」ためには手段を選ばない。電気・ガスのストップは、抜き打ち的に、しかも計画的に行われた違法行為であり、問題の本質的解決に逆行するものでした。

当事者不在の決定とは何か?

共同記者会見
96年4月9日 電気停止に抗議する学生自治団体。この共同記者会見には、多くのマスコミが集まった。
 電気・ガスのストップは、学部当局の非人道的なひどさを明白に示していますが、その背景には読み取らねばならない重大なことがあります。学生は異議を唱えるべき立場ではない、換言すれば大学構成員たり得ない、という根底にある学部当局の発想がそれです。
 ご存じの通り、寮生・学生は一貫して駒場寮「廃寮」に反対しており、それは交渉の中で学部当局も認めていることです。口先では「廃寮」反対の意見を認めながら、他方では「廃寮」計画を唯一絶対化しているのが学部当局に他なりません。「廃寮」に反対している寮生は、勝手に寮に住み着いたのではありません。寮自治・学生自治を根拠として従来通りの正当な手続きによって駒場寮を使用しているに過ぎません。そのような寮生に対して、実際に電気・ガスをストップし、生活破壊をしてまで計画強行をしようとする。では、寮自治や学生自治は彼らにとって一体何なのでしょうか。
 結論から言えば、学部当局はそれらの「自治」を彼らの下請け事務としか考えていないのです。
共同声明提出
96年4月9日 共同記者会見後の101号館への学生自治団体共同声明提出行動。永野評議員(当時)「人道的にはよくないが法的には問題ない」
「東大確認書」の学生の「固有の権利」など、彼らは何とも思っていません。学生はあくまで学部当局に従うべき存在であり、計画に変更や撤回を求めることなどしてはならない存在なのです。その枠内であれば、適当に「自治」をやらせる訳です。枠の範囲は彼らが恣意的に判断します。『学生の皆さんへ97(2)』の中に、「固有の立場」という言葉が使われているのが、何よりの証拠ではありませんか。学生としての枠、「固有の立場」を踏み越えて反対を唱える時、仮にその反対が学生側の正式の手続きに拠った正当な内容のものであったとしても、その学生に対する無制限の弾圧が正当化されるのです。
 電気・ガスのストップに際して、学部当局の根底にあるこのような発想が自己暴露する結果となりました。不当な「廃寮」を強行するには隠し切れなかったのです。
 学生は大学社会に属しています。その社会で、電気・ガスストップに象徴されるような事態が起きています。この事態をどう考えるのか、放置してよいのか、それが一人一人に問われています。そのような問いに答えることこそが所属する社会への責任の果たし方ではないでしょうか。口を閉ざして白紙委任することからはファシズムしか生まれません。それは必ず学生にはね返ってきます。全ての学生が結束して学部当局の「廃寮」攻撃に反対するところから始めねばならないのも、そのためです。

「法的措置」への突入
 何ら正当性のない「廃寮」計画を実力攻撃をもって強行しようとすればするほど、学部当局の暴力性が露呈するのみで、その不当性は覆うべくもありませんでした。全学投票に示されたように、学生側は誠実な話し合いによる解決を要求していましたが、彼らがそれに応じることは出来ませんでした。誠実な交渉は取りも直さず、日一日とその度を深める「廃寮」攻撃の不当性を認めることを学部当局に強いるものだったからです。
 強行突破する以外に方策のなくなった学部当局は、96年6月教授会で『「法的措置」の学部長への一任』を「決定」してしまいます。学生自治を拠り所として正当な主張をする学生を訴えるという、前代未聞の決定がなされたのです。

「占有移転禁止」仮処分

占有移転禁止仮処分
96年9月10日〈占有移転禁止仮処分執行〉
なり振り構わず寮生を追い出そうとする学部当局は、「法的措置」にも手を出した。
 「暴力学生による不法占拠」「管理不能の危険」などの虚偽に塗り固められた申し立てに基づいて96年9月、東京地裁は秘密裏に「占有移転禁止」仮処分決定を下しました。96年9月10日に抜き打ち執行された「占有移転禁止」仮処分とは、「明渡し」訴訟の前段階の「法的措置」です。一言で言えば追い出し対象者の法的特定を行うものです。追い出し対象者とされた寮生は、仮処分執行当日になって初めて自分が対象者であることを知ったのです。
 一度でも寮に立ち入ったことのある人ならば誰でも分かるようなウソをもとに、一度も寮の実態を見たことのない裁判所の人間が、追出し前段階の決定を出したのです。対話を無意味化してしまう「法的措置」の本質が、警察力導入と何ら変わらないことは、当時東大新聞が適切に指摘した通りです。寮側は直ちに執行異議申し立てを行いました。

「明け渡し」仮処分へ
 寮側の執行異議申し立ては、異議申し立てとしては異例の3ヶ月という長期間、裁判所で審議されました。学部当局がそれまで黙殺してきた寮自治会を裁判所に認定させる成果もありましたが、結果的には斥けられる形となりました。  異議申し立てが決着すると、学部当局は即座に「明け渡し」仮処分を申し立てます。学生の結束した反対を恐れて、学生のまばらな春休みを狙ったのです。裁判所に提出された膨大な学部当局の「疎明資料」は、あからさまに学生自治を否定し、学部当局の管理権のみを強調する、虚偽と欺瞞に塗り固められた内容でした。「キャンパスプラザ」建設が、緊急に「廃寮」すべき理由とされましたが、実際には「キャンパスプラザ」の建設予定地を駒場寮の一棟(明寮)にほんの数メートルだけ重ね、「キャンパスプラザ」を「廃寮」の道具として利用してきたのです。「キャンパスプラザ」建設は、学生のためと称して、学生を裁判にかけて強行しようとする駒場寮「廃寮」とは一体何なのか。この単純かつ本質的な問いは、しかし裁判官の頭の片隅にすら生じることはありませんでした。法律の条文に照らして判断することだけが彼らの仕事だからです。
 裁判所での審尋は、常に寮側有利で展開しました。学部当局・国側の主張が、虚偽と欺瞞であることが寮側弁護士の追及や我々の陳述書で次々と明るみに出たからです。学部当局と国の足並みも乱れました。その結果、彼らは三棟同時「明け渡し」を断念しました。ウソも百遍つけば・・という教養学部当局の低水準は裁判所には通用しなかったのです。しかし、明寮については、許し難いことに「明け渡し」決定が下され、第一次、第二次強制執行が行われ、文字通り寮生を引きずり出して寮を破壊するという未曾有の事態になったのです。

「法的措置」の問題
 「法的措置」は多くの問題性を孕んでいますが、ここでは二点だけ指摘したいと思います。まず、「法的措置」の犯罪性を特徴付けるのは、当事者間での真摯な対話による解決への可能性を潰してしまうということです。「決着がつかないなら第三者の判断に委ねればよい」という意見は寮問題を完全に捉え間違えています。「第三者の判断に委ねる」ことが妥当性を持つのは、両者が最低限それに合意した場合に於いてのみです。寮自治会は一貫して「法的措置」に反対し、話し合いによって解決すべきことを主張してきました。話し合いはやめだ!と言わんばかりに学部当局が突き付けたのが「法的措置」なのです。「話し合いは学部当局も主張している」との意見もあります。しかし学部当局がどんな交渉を行ってきたのか、そして何より学部当局が「法的措置」に突入したという事実を、はっきりと認識せねばなりません。
 次に、「法的措置」は学生自治を潰すということです。学生自治は、大学自治を支える上で欠くべからざるものとして、学生の自主的活動を通じて培われてきました。しかし学生自治には法律的な裏付けがある訳ではありません。従って、学生自治に関わる問題を裁判所に持ち込んでも、大学当局に軍配が上がるのは当然です。これは駒場寮だけの問題ではありません。学生自治の問題と不可分な「廃寮」問題をあくまで「法的措置」で決着させようとすれば、裁判所による学生自治への法律的否定に行き着かざるを得ないのです。
 我々は、駒場寮の所有権が法律的に国にあることを否定しようとしているのではありません。寮建物が誰の所有か、などといった矮小な議論をするのは学部当局です。我々が問うているのは、寮という制度、そこで学生の手で創り上げられる自治、それは誰の(ための)ものかということです。裁判所の「お墨付き」で学生自治に死刑宣告しようとする学部当局の「法的措置」路線は、学生自身の手によって、阻止されねばならないのです。

96年9月3日「占有移転禁止」仮処分決定
96年9月10日「占有移転禁止」仮処分執行
96年11月28日寮食堂南ホールへの電気供給停止(その後復旧)
97年2月5日学部当局・国側、「明渡断行」仮処分申請
97年3月19日学部当局・国側、北中寮に対する申し立てを取り下げ
97年3月25日明寮「明け渡し」不当決定

暴挙を上塗りした強制執行
 1997年3月25日、東京地裁は明寮についての「明け渡し」決定を出しました。我々は、この決定を不服としながらも、裁判所によって「明け渡し」対象者とされた寮生については、自発的に明け渡すことにして、3月28日(WebPage製作者注:こちらに写真資料がありますに裁判所の執行官や国側代理人に通知しました。ところが、彼らはその翌日、何の事前連絡もないまま(弁護士にすら!)大量のガードマン・作業員及び教職員を引き連れてやってきたのです。寮生が柔軟な態度であろうがなかろうがお構いなく、彼らは暴力的に叩き出すことしか考えていなかったのです。ものものしい雰囲気は、ガードマンの大量動員で彼らがデッチ上げたもの以外の何物でもありません。
 これは寮生のみならず、学生に対する重大な恫喝行為です。学部当局に反対する学生の末路はこうだ!と言わんばかりに、彼らはその野蛮性を見せつけてきたのです。学生自治会は「何でも言える大学」をキャッチフレーズにしていますが、学部当局は「何でも言ってるとヤバイ大学」にしようとしているのです。これは、当事者間で解決すべき学内問題を裁判所に持ち込んだ時点で、不可避となった問題性です。

第一次明寮明け渡し強制執行
97年3月29日 〈第一次明寮「明け渡し」強制執行〉事前に任意に明け渡す旨を伝えたにもかかわらず、ガードマンを寮内外に配備して「厳戒体制」を演出し、ドサクサに紛れて「非債務者」まで追い出した。
 またこれは、「廃寮」の不当性からの必然的帰結でもあります。寮生が自発的に明け渡すことなど、彼らにとって考えられなかったのではなく、彼らにとってあってはならなかったのです。彼らにとって、寮生は「エゴイスティックで悪質な暴力学生」として全学にイメージされる存在でなければなりません。寮生がそのようなイメージで見られること抜きに、不当な「廃寮」計画を強行したり、まして裁判という前代未聞の手段で学生を弾圧するための大義名分はあり得ないからです。だからこそ学部当局にとってみれば、寮生が裁判所決定に従って出て行くなど、悪役を全うしていないということでしかないのです。任意の明け渡しを通告したまさに翌日に、抜き打ち強制執行が行われたことはその証拠です。
 強制執行の問題性は大量動員だけではありません。明寮に部屋を持っていた「非債務者」(裁判所決定で明け渡し対象者とされていない寮生・サークル)もドサクサに紛れて叩き出したのです。何とその数は「債務者」(明け渡し対象者)部屋より多いものでした。これら「非債務者」は強制執行当日の現場で突然、「債務者」と見做され、叩き出しが正当化されたのです。裁判所決定など、単に強制執行するための体裁を整えるためだけのものに過ぎないことがお分かり頂けると思います。

97年3月29日明寮「明け渡し」強制執行
97年3月30日明寮フェンス工事→阻止
97年4月10日明寮「明け渡し」第二次強制執行
97年4月12日第二次明寮フェンス工事

「非債務者」を一切無視しフェンス設置を策動
 大量のガードマンと作業員を動員し、ドサクサに紛れて「非債務者」叩き出しを行おうとした学部当局のもくろみは、寮側弁護士の奮闘により、当日時点で「非債務者」の占有する4部屋の強制執行を阻止することができ、完全には成功しませんでした。彼らの「誰彼構わず叩き出して完全にカラにする」目論みは破綻し、「明け渡し」申し立てのデタラメさ加減が白日の下にさらされたのです。
 明寮強制執行と相前後するように、3月30日、学部当局は、明寮取り壊しの準備工事として明寮周辺へのフェンス設置工事を行おうとしてきました。学部当局は、29日の強制執行で全ての寮生の追い出しに失敗し、まだ4名の「非債務者」の寮生が明寮に居住しているにも関わらず、事前の予告無しに、明寮周辺にフェンスを張り巡らそうとしたのです。

明寮フェンス設置策動に見る不当性
 この工事は学生の強い反対により、中止に追い込まれましたが、ここでは見落としてはならないことがいくつかあります。

明寮フェンス工事
97年3月30日〈明寮フェンス工事〉寮内に寮生が残っていたにもかかわらず、フェンスを設置しようとした。中止を求め、学生がフェンスの資材上で座り込む。
 ひとつは、学部当局が強制執行から一日と置かずにフェンス工事を強行できたのは何故か、という点です。通常、工事の当日に突然業者・警備会社と契約するということは殆ど不可能といえるでしょう。学部当局は、29日の強制執行で明寮から「債務者」「非債務者」関係なく、全ての寮生を追い出そうとはじめから考えていたのです。そしてその計画のもと、一日と置かずに明寮をフェンスで囲もうと画策し、工事業者・警備会社と契約を交わしていたのです。この事実から、学部当局がいくら弁解しようとも、ドサクサ紛れの「非債務者」追い出しは実に計画的に行われていたことが分かるでしょう。
 もうひとつは、まだ明寮に「非債務者」である寮生が住んでいると知っていながら、残りの寮生の「明け渡し」や明寮の「取り壊し」を前提としたフェンス工事を強行しようとした、ということです。学部当局は96年9月、駒場寮問題に関して「法的措置」を持ち込む際に、「このような事態に立ち至ったことは残念」としながらも、「廃寮問題を第三者の公的判断に委ね」ると公言しています。自らの主体性を放棄し、駒場寮問題を裁判に持ち込んでおきながら「残念だ」などと言うことで、あたかも学部当局として誠実な話し合いでの問題解決を目指してきたかのように装いながら、一方では裁判所の判断を全く尊重せずに、執行官によって居残りが認められた寮生の権利を踏みつぶすような暴挙を行ってきたのです。学部当局の多用する「残念」「第三者としての公正中立な判断」などという言葉は単なるリップサービスに過ぎず、「法的措置」を駒場寮潰しのための道具としてしか見ていないことがお分かり頂けると思います。

不当極まりない第二次「強制執行」
 明寮に占有権を認められた4名の寮生について、新たな「法的措置」を講ずる以外に学部当局が叩き出す方法はありませんでした。そこでいつ、その手続きが始まるのか、誰もが警戒していました。
 完全明け渡しが阻止されると、学部当局は占有権を認められたこれら寮生との交渉を行いました。任意明け渡しの説得工作でしたが、その場では新たな「法的措置」については一度も触れられませんでした。我々はしかし、いずれは同様の仮処分が掛けられ、その通知が来るだろうと考えていました。
 ところが97年4月10日(WebPage製作者注:こちらに写真資料があります、学生がオリエンテーションで忙しい中、またも大量のガードマンを引き連れ、突如として彼らはやってきました。仮処分の存在すら知らされないまま、文字通り抜き打ちの第二次「強制執行」に出てきたのです。第二次「明渡断行」仮処分決定は4月8日、秘密裏に出されていました。

第二次明寮明け渡し強制執行
97年4月10日〈第二次明寮「明け渡し」強制執行〉寮側の立会人も一切の説明も拒否され、説明を求め怒りの座り込みを行う学生。

第二次明寮フェンス工事
97年4月12日〈第二次明寮フェンス工事〉学生一人に対しガードマン10人以上がつかみかかり、身動きをとることさえも許さない。
 通常の仮処分であれば、申立があれば裁判所に提出された資料が「債務者」本人にも郵送され、申立の存在を知ることが出来ます。また、裁判所が審尋を設定するので、法廷で反論することもできます。しかし、第二次「強制執行」ではこれらは一切行われませんでした。明け渡しを申し立てられた寮生本人が、その存在を知らされず、知らないところで、反論の機会が全く与えられないまま、一方的に決定がなされたのです。密室審理以下のこんなデタラメが正当である筈がありませんでした。「強制執行」後に明らかにされた決定書によれば、実は明寮に残っていた全ての寮生が「債務者」ではなかったことが分かります。つまり、第二次「強制執行」時にも「非債務者」がいたのです。そして「非債務者」を実力で叩き出すためには、ガードマンや作業員を使って、明寮を彼らがやりたい放題の無法地帯に仕立て上げなければならなかった訳なのです。事実、寮生側の立会人も拒否され、我々の手の届かないところで、彼らは「非債務者」に襲いかかり、手足を掴んで寮外に摘み出すという暴挙を働いたのです。
 大量のガードマンと作業員を導入し、ドサクサ紛れの「非債務者」叩き出しに「成功」した学部当局は、97年4月12日(WebPage製作者注:こちらに写真資料があります、明寮取り壊しのためのフェンス設置工事強行のため、それまでを大きく上回る規模での暴力を振るってきました。教職員100人以上、ガードマン300人以上が導入され、重機によって明寮・北寮間の渡り廊下が破壊され、抗議する学生は圧倒的多数のガードマンによって強制排除されました。教職員は自らの手を汚すことなく、駒場寮問題とは全く関わりのない、金で雇ったガードマン・作業員の暴力的行為を、談笑しながら傍観するのみでした。結果的にフェンスは建設され、明寮は5月までに完全に取り壊されてしまいました。しかし、学部当局の「明け渡し」仮処分攻撃は結局、その意図である「廃寮」を強行することができず、むしろ「廃寮」決定の不当性、すなわち、膨大な暴力と費用をもってしなければ潰し得ない程、「駒場寮存続」の論理が強靱であることを如実に示す結果となった、ということが出来るでしょう。

ガードマン費用はどこから?
 学部当局による駒場寮への「廃寮」攻撃とは別の観点から、見過ごせない問題があります。強制執行やその後の「警備」のために雇われているガードマンの費用問題です。こんなものは当然ながら「キャンパスプラザ」建設予算には含まれていません。

明寮フェンス工事
97年4月12日〈明寮フェンス工事〉スクラムを組みパワーショベルを守るガードマン
 学部当局が交渉で述べたところによれば、これは東大各学部からの拠出金で賄われているとのことです。要するに、文部省からの特別な予算からではなく、各学部の貯金から支払われているのです。この金は、本来ならば教育・研究のために使われるべきものです。
 ガードマン費用の総額は明らかではありませんが、ガードマンの日給と人数から計算して、既に1億円を越えていると概算出来ます。合意形成を怠り、かつその努力もなされていないために、膨大な金額を「廃寮」強行につぎ込むことが現在も進行しているのです。
 学部当局は「産みの苦しみ」という言葉を使います。しかし「廃寮」を強行した後に生み出すものが何なのか、そもそも生み出し得るのか、誰も知りません。これは「殺しの代償」と呼ぶほかありません。学部当局の一存で無駄金を浪費することは許されません。

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