不当なリンクを外せ!
寮生・学生側の各種最高議決機関決議にも関わらず、「廃寮」強行の姿勢を堅持する学部当局は92年10月、駒場寮「廃寮」を前提としたままで「三鷹宿舎」第1期工事を着工します。「三鷹」計画が始動するという状況の中で、駒場寮の将来が一方的に「三鷹宿舎」への統廃合であると決め付けられたことの問題性が浮き彫りにならざるを得ませんでした。「三鷹宿舎」への統廃合を当事者抜きで決定してよいのか、そもそも「三鷹宿舎」への統廃合は駒場寮「廃寮」の埋め合わせになり得るのか。このような議論の中から、駒場寮と「三鷹宿舎」の不当なリンク撤廃要求が広範な支持を得ていきました。
93年1月の駒場寮総代会では、この議論に沿って3項目要求が決議されました。
署名集めからストライキへ
2月交渉の永野委員長発言を受けて、寮自治会は「廃寮」反対の署名集めを開始します。7月までに2500筆を集めて学部当局に提出しましたが、学部当局は「三鷹宿舎」第2期工事着工により「廃寮」計画の「既成事実化」を進めようとすることでこれに応えました。(学部当局はこれ以降も、「CCCL計画」の発表など、「廃寮」計画の「既成事実化」を推し進めてきます。そして、学部当局はいま「廃寮」を撤回できない理由として「三鷹が建ったから」と言うわけですが、「学生の意志は一貫して廃寮反対である」と当局自身も認めるとおり、「駒場寮廃寮のための三鷹建設」に学生が合意したことは一度もない訳ですから、このような主張は単なる話し合い拒否、「既成事実化」に過ぎず、全く認められないのです。)寮側は、学部当局への働き掛けを強めるため、学生ストライキを計画します。これは11月に学生自治会代議員大会と全学批准投票を経て正式に行われました。学生側は「廃寮」反対の意志をストライキという形で学部当局に突き付けたのです。さらに同年秋の駒場寮祭(駒場祭と同時期)では、東大OGで駒場寮内の部室を利用していた加藤登紀子さんが駒場寮存続を考えるコンサート(参加者延べ4000人)を行い、駒場寮問題が広く学内外に知られる切っ掛けとなりました。それでも「三鷹計画全体の方が重い」として計画強行姿勢を取り続けたのです。本来、駒場寮「廃寮」や「三鷹」計画は学生に関わる問題であるにも関わらず、ストライキに示された学生の意見が切り捨てられる。このことをどう解釈すればよいのでしょうか。駒場寮「廃寮」や「三鷹」計画が、そもそも学生の自主性を念頭に置いたものではなく、学部当局の都合からのみ生まれた計画であることを示しています。
| 93年1月22日 | 駒場寮総代会で3項目要求決議 |
| 93年2月24日 | 三鷹特別委員会交渉「学内世論が高まれば三鷹中止、駒場寮残る」 |
| 93年7月27日 | 駒場寮存続を求める署名提出(2500筆) |
| 93年11月1日 | 当局「創造的学園スペース『駒場CCCLの創成に向けて』」発行 |
| 93年11月19日 | 「廃寮」反対ストライキ |
| 93年11月23日 | 「駒場寮存続を考える」加藤登紀子コンサート |
| 94年7月20日 | 学部当局、「CENTER FOR CREATIVE CAMPUS LIFE 駒場」と題するカラーパンフ配布 |
![]() 95年10月17日 「廃寮通告」への抗議に駆けつけた学生たち。場所は11号館前 |
| 94年11月14日 | 学部当局、「入寮募集停止」を「通達」 |
| 94年12月2日 | 「入寮募集停止」通達撤回を求めるストライキ |
| 95年1月17日 | 「入寮募集停止」通達粉砕!全国集会 |
| 95年10月17日 | 学部当局、「廃寮」を「通告」 |
| 95年7月27日 | 学部当局、前・現寮委員長(当時)に対し「説諭」実施 |
| 95年12月7日 | 全学投票で「寮存続または学内寮建設」批准 |