第2部 「廃寮」反対運動の攻防

不当なリンクを外せ!
 寮生・学生側の各種最高議決機関決議にも関わらず、「廃寮」強行の姿勢を堅持する学部当局は92年10月、駒場寮「廃寮」を前提としたままで「三鷹宿舎」第1期工事を着工します。「三鷹」計画が始動するという状況の中で、駒場寮の将来が一方的に「三鷹宿舎」への統廃合であると決め付けられたことの問題性が浮き彫りにならざるを得ませんでした。「三鷹宿舎」への統廃合を当事者抜きで決定してよいのか、そもそも「三鷹宿舎」への統廃合は駒場寮「廃寮」の埋め合わせになり得るのか。このような議論の中から、駒場寮と「三鷹宿舎」の不当なリンク撤廃要求が広範な支持を得ていきました。
 93年1月の駒場寮総代会では、この議論に沿って3項目要求が決議されました。

  1. 三鷹国際学生宿舎建設は推進するが、自治を認めさせていこう。
  2. 駒場寮廃寮との不当なリンクをはずすこと。
  3. 駒場寮の重要性と廃寮反対を学内外にアピールしよう。
 反対を押し切って駒場寮を潰してでも三鷹に駒場寮定員を移せという意見は存在せず、3項目要求は駒場寮を犠牲にするようなやり方をするなという極めて単純な意見でした。
 2月に行われた三鷹特別委員会との交渉で、学部当局側(永野委員長、当時)は、世論の高まりによっては、駒場寮を残して三鷹計画を中止するという発言をしました。しかしこれが本音ではなかったことは、その後の学部当局の行動が明らかにしています。

署名集めからストライキへ
 2月交渉の永野委員長発言を受けて、寮自治会は「廃寮」反対の署名集めを開始します。7月までに2500筆を集めて学部当局に提出しましたが、学部当局は「三鷹宿舎」第2期工事着工により「廃寮」計画の「既成事実化」を進めようとすることでこれに応えました。(学部当局はこれ以降も、「CCCL計画」の発表など、「廃寮」計画の「既成事実化」を推し進めてきます。そして、学部当局はいま「廃寮」を撤回できない理由として「三鷹が建ったから」と言うわけですが、「学生の意志は一貫して廃寮反対である」と当局自身も認めるとおり、「駒場寮廃寮のための三鷹建設」に学生が合意したことは一度もない訳ですから、このような主張は単なる話し合い拒否、「既成事実化」に過ぎず、全く認められないのです。)寮側は、学部当局への働き掛けを強めるため、学生ストライキを計画します。これは11月に学生自治会代議員大会と全学批准投票を経て正式に行われました。学生側は「廃寮」反対の意志をストライキという形で学部当局に突き付けたのです。さらに同年秋の駒場寮祭(駒場祭と同時期)では、東大OGで駒場寮内の部室を利用していた加藤登紀子さんが駒場寮存続を考えるコンサート(参加者延べ4000人)を行い、駒場寮問題が広く学内外に知られる切っ掛けとなりました。それでも「三鷹計画全体の方が重い」として計画強行姿勢を取り続けたのです。本来、駒場寮「廃寮」や「三鷹」計画は学生に関わる問題であるにも関わらず、ストライキに示された学生の意見が切り捨てられる。このことをどう解釈すればよいのでしょうか。駒場寮「廃寮」や「三鷹」計画が、そもそも学生の自主性を念頭に置いたものではなく、学部当局の都合からのみ生まれた計画であることを示しています。

93年1月22日駒場寮総代会で3項目要求決議
93年2月24日三鷹特別委員会交渉「学内世論が高まれば三鷹中止、駒場寮残る」
93年7月27日駒場寮存続を求める署名提出(2500筆)
93年11月1日当局「創造的学園スペース『駒場CCCLの創成に向けて』」発行
93年11月19日「廃寮」反対ストライキ
93年11月23日「駒場寮存続を考える」加藤登紀子コンサート
94年7月20日学部当局、「CENTER FOR CREATIVE CAMPUS LIFE 駒場」と題するカラーパンフ配布

「入寮募集停止」通達とストライキ

廃寮通告
95年10月17日 「廃寮通告」への抗議に駆けつけた学生たち。場所は11号館前
 94年夏以降に、学部当局が「入寮募集停止」を通達してくる可能性が決定的となると、寮生・学生はこれに反対する運動を開始しました。10月駒場寮総代会は「入寮募集停止」通達如何に関わらず、95年以降の入寮募集を継続することを確認しましたが、これも学部当局は無視、11月に「入寮募集停止」通達を強行したのです。この通達の撤回を求めて、再度ストライキが提起され、12月にストライキが行われました。1月には初の全国集会が行われましたが、学部当局は「入寮募集停止」通達を撤回せず、95年度から学部当局の認めない入寮募集継続に突入していくことになったのです。

「廃寮」告示から全学投票へ
 95年10月、学部当局は96年度以降の駒場寮「廃寮」を告示しようとしました。しかし、寮生・学生の強い抗議の前に、学部長は「廃寮」告示文を読み上げることすら出来ずに逃亡、事態収拾のため学部長団体交渉が持たれることとなったのです。  学生側は再度、「廃寮」反対の意志表明をするため、12月に全学批准投票を行いました。その結果、「寮存続または新学内寮の建設」が7割以上の賛成を得て批准されました。この結果はマスコミでも報道されましたが、学部当局は「廃寮」強行の姿勢を改めず、96年4月1日、駒場寮「廃寮」を宣言、対立は何ら解消されないまま、学部当局のなりふり構わぬ「廃寮」攻撃が熾烈化していくことになったのです。
 93年から「廃寮」以前の経緯を駆け足で概観しましたが、学生関連の問題であるにも関わらず、当の寮生・学生の意見を踏み潰しながら学部当局が一貫して「廃寮」強行に邁進してきたことが分かります。「廃寮」問題は、「廃寮」を容認してこのような学部当局の不当性を不問に付してよいのかという問いを学生一人一人に投げかけているのです。

94年11月14日学部当局、「入寮募集停止」を「通達」
94年12月2日「入寮募集停止」通達撤回を求めるストライキ
95年1月17日「入寮募集停止」通達粉砕!全国集会
95年10月17日学部当局、「廃寮」を「通告」
95年7月27日学部当局、前・現寮委員長(当時)に対し「説諭」実施
95年12月7日全学投票で「寮存続または学内寮建設」批准

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