学生不在の「三鷹」構想
東京大学教養学部は90年3月、「国際学生寄宿舎」の概算要求を行い、翌91年3月に再度「三鷹国際学生宿舎」として概算要求を行いました。これが現三鷹宿舎の予算的背景です。これらの概算要求は、その存在すら寮生・学生に知らされていませんでした。このこと自体、学生の利用する宿舎であるにも関わらず、当の学生は蚊帳の外であることを示していますが、実は別の理由があったからなのです。概算要求の背景には、大蔵省関東財務局による旧三鷹寮敷地の不効率利用国有地の指定がありました。この指定を受けると土地が国に没収される可能性が高まります。そこで何らかの「有効利用」が迫られるのですが、教養学部は手っ取り早く旧三鷹寮の増築を考えた訳です。しかし、政府文部省の学寮敵視政策から、そう簡単に増築出来ない。そこで駒場寮を廃寮にしてしまえという安易かつ無茶な条件を付けたのです。要するに、有効利用など建前、東大の土地は一坪たりとも手放したくない、という東大のエゴが、しわ寄せを駒場寮に押し付けたのが駒場寮「廃寮」計画の直接的な切っ掛けです。
当事者不在の「廃寮」決定
遅くとも91年3月に再度「三鷹国際学生宿舎」の概算要求をした時点で、駒場寮「廃寮」計画は東大から政府文部省に示されていました。ところが学部当局はこの事実を寮生・学生に知らせないばかりでなく、意図的に隠蔽してきたのです。91年7月の学部交渉の席上、「(寮の建て替えは)具体的計画に至っていない」としてあたかも「廃寮」計画自体存在しないかのような発言をしています。ところが実際には「建て替え」どころか「建て替え」にかこつけた駒場寮の「廃寮」計画が秘密裏に進められていたのです。後に学部当局は91年夏に予算化の可能性が高まったことを明らかにしています。その時点でも時間はいくらでもあったにも関わらず、寮生側には何らの相談もありませんでした。そして秋休み中の10月9日、臨時教授会を開いて文字通り電撃的に駒場寮「廃寮」を決定してしまったのです。こうして駒場寮「廃寮」計画は、それに最大の影響を受ける当事者である寮生・学生との合意はおろか、何らの事前相談もないまま、一方的に「決定」されました。こうして、「廃寮」の有無を言わせぬ押し付けが始まったのです。
| 88年 | 旧三鷹寮敷地不効率利用国有地の指定 |
| 90年3月 | 国際学生寄宿舎の概算要求頭出し |
| 91年3月 | 三鷹国際学生宿舎の概算要求頭出し |
| 91年7月 | 学部交渉「(建て替えは)具体的計画には至っていない」 |
| 91年8月 | 三鷹国際学生宿舎予算化の可能性急浮上 |
| 91年10月9日 | 臨時教授会で駒場寮「廃寮」決定 |
| 91年10月12日 | 駒場寮委員長・学生自治会委員長の公開質問状 |
| 91年10月15日 | 東京大学評議会で駒場寮「廃寮」承認 |
| 91年10月17日 | 学部当局文書「21世紀の学生宿舎を目指して」配布 |
| 91年11月12日 | 学生自治会代議員大会で駒場寮「廃寮」反対決議 |
| 91年11月 | 駒場寮総代会で駒場寮廃寮反対決議 |
| 91年11月14日 | 学部交渉 |
| 91年11月28日 | 学部交渉「ここで止めると東大のメンツを失う」 |
誠意ない学部当局の態度
91年10月9日の臨時教授会で駒場寮「廃寮」が突然一方的に決定されました。しかし、この決定を学生側に伝えたのは5日後、文書の形態で全学に知らせたのは1週間以上も経ってからでした。特に、駒場寮生にとっては寮が潰されるという最大級の問題であるにも関わらず、学部当局は通知すらサボっていたのです。
遅れた日数は些細な問題です。より問題なのは、当事者不在で決定した上に、さらにそれを伝えようとしなかったその誠意のかけらもない態度です。臨時教授会の不当決定の噂を聞き付けた当時の駒場寮委員長・学生自治会委員長が決定の有無について公開質問状を出します(10月12日)。このような学生側からの追及によって、やっと学部当局が決定の存在を認めたのです。このように「廃寮」決定前後の学部当局は二つの不当行為を行っています。一つは決定に際し、事前に合意形成を図ろうとせずに計画を隠蔽し続けたこと、もう一つは決定後も当事者の存在を無視して決定の伝達すら怠ったことです。学部当局のこのような態度の背景には、学生自治無視或いは学生軽視の発想があるのです。学部当局は「強い反対があれば計画を中止する」と言ったのに反対がなかったから計画を進めた、と主張しますが、たとえ反対があろうとも強行突破するハラでいたことは、以上のような経緯から明らかです。
![]() 〈駒場寮問題へようこそ〉永野三郎前評議員・現学部長特別補佐(情報図形)(2001年3月現在。2000年度で退官) |
「東大確認書」10の2項
1969年2月、東大当局と学生側の代表団との間に取り交わされたのが「東大確認書」です。ここでは「東大確認書」の是非には触れず、東大当局もこのような「確認書」を認めて合意したのだという事実を前提に考えてみましょう。
「東大確認書」10の2項では、「学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成している事を確認する。」ということが謳われています。「東大確認書」以前の大学当局は、大学の自治の主体は教授会であるという立場でしたが、ここで、学生や職員も大学自治の主体であるという意志表明をしたのです。「固有」の権利の内容には触れられていませんが、この「固有」とは憲法に書かれた「固有」の意味付けと同様、「不可侵」ということです(この解釈は、当時「確認書」交渉に携わり、現在弁護士をしておられる方から直接聞いたものです)。当時から駒場寮は寮生によって自主管理されていましたが、これも学生としての「固有」の権利ということが出来ます。
従って、駒場寮「廃寮」決定について言えば、最大の影響を受ける寮生・学生が駒場寮を福利厚生施設として使う「不可侵」の権利と衝突する訳ですから、当然、「廃寮」のための合意形成が不可欠であったのです(「廃寮」宣言から5年経った今から考えれば、「廃寮」強行のために膨大な労力を割くことを強いられている事務職員の意見も全く無視したところで決定された「廃寮」には微塵の正当性もないと断言出来るでしょう)。にも関わらず、学部当局は計画を隠蔽して秘密裏に決定するという、まるで正反対の行動をとったのです。そして学部当局はいまだに、学生と相談して決めることは必要条件ではないなどと開き直っている始末です。
当事者不在の決定が正当性を有する筈がありませんが、東大に於いては、大学当局自らが認めた「東大確認書」にすら違反しているという点でも、見逃す訳にはいきません。
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十、大学の管理運営の改革について 1 大学当局は、いわゆる「東大パンフ」を廃棄する。 2 大学当局は、大学の自治は教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであるということを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成している事を確認する。 (「東大確認書」より抜粋)
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駒場寮の原則「84合意書」
学生という大学自治を担う一主体に対して秘密裏に決定されたことの不当性は、大学当局自身が締結した「東大確認書」を見れば、学部当局ですら当然認めなければならないものです。今回は、駒場寮にまつわる狭義の当事者である寮生を無視したことについても明文化された原則をにじみ躙る暴挙であったことを明らかにしたいと思います。
駒場寮では、寮生自身による管理運営、自主管理が行われてきました。入退寮選考権から寮財政管理権に至るまで、寮生により構成される自治機構である『駒場寮自治会』が掌握しており、学部当局もまたこれを認めてきました。これらの日常的活動を基礎に、寮自治の尊重と、寮生活に関わる公的な意志表明の際に寮生の意見を聞いて反映させること等を明文化したのが84年『合意書』の“確認事項”(通称「84合意書」、以下同じ)です。
負担区分闘争の末に
この「84合意書」は、84年に負担区分闘争を終結させるに当たって駒場寮自治会と当時の第八委員会(学部当局の学寮担当の常設委員会、現学生委員会)との間で取り交わされたものです。ここでは負担区分闘争についての説明が若干必要でしょう。当時、駒場寮は経済的困窮学生の厚生施設であるという立場から、寮自治会として水光熱費を一切負担していませんでした。これに対して会計検査院が負担区分(生活に関わる部分の水光熱費は寮生自身に払わせるための分担)を「守っていない」と指摘し(これは政府が勝手に押し付けたに規則に過ぎず、それまでと同じ支払い方法をとっていたのだから「守っていない」のは当然だった)、これを口実に「受益者負担主義」を振りかざした負担区分導入攻撃が全国の学寮に対して開始されました。駒場寮については、寮生に相談せずに東大学長が負担区分導入を一方的に決定して文部省に約束してしまい、これに寮生が反対すると学部当局は「廃寮」の恫喝をかけながら決定を駒場寮自治会に押し付けてきたのです。
寮費が跳ね上がること、そして何より「受益者負担主義」が貫かれていること等が問題となって寮内を二分三分する大論争になりました。しかし結局、「廃寮」を回避するため、設備改善と引き換えに学部当局の決定に応じることになったのです。負担区分導入が大問題になった理由の一つは、大学当局が寮自治を無視して勝手にその在り方を決定してしまったことにあります。今後そのような問題が起こらないようにするために「合意書」及び付随する“確認事項”が結ばれました。以上が、負担区分闘争と「84合意書」の経緯です。
こうして寮自治の尊重を再確認することが明文化されました。しかし、それから僅か7年後、手のひらを返したように学部当局は「合意書」に全面的に違反する「廃寮」の抜き打ち決定に及んだのです。学部当局の態度は、寮自治尊重の精神を、単なる紙屑として捨てようとするものでした。
「84合意書」第三項に違反
当事者である寮生・学生に秘密裏に進められた「廃寮」構想と臨時教授会での抜き打ち決定、当事者不在の決定という在り方の不当性は誰の目にも明らかですが、これは「合意書」の第三項にも違反するものです。より詳細に考察してみましょう。
まず、「廃寮」計画が『寮生活に重大なかかわりを持つ問題』であることについては、学部当局も認めています。最大の問題は『事前に』という言葉の指す意味です。これについては、特に「84合意書」の妥結の背景についてもう一度考える必要があります。
前述の通り、「84合意書」は負担区分闘争の末に結ばれました。負担区分闘争の発端は、東大学長が当事者である寮生との相談をしないまま文部省との間で寮に関する約束をしてしまったことです。学部当局は当時、文部省との約束を盾に負担区分導入は避けられないと言うばかりか、導入しないなら「廃寮」すると脅す始末でした。問題が学外に出てしまったら、なかなか変えられないのだ、という訳です。『事前に』の意味するところはこれで明らかだと思います。それは、学外に問題を持ち出す前に、もっと具体的に言えば概算要求などの形で計画を学外に公開する前に、という意味に他なりません。
駒場寮「廃寮」計画は、遅くとも91年3月時点で概算要求の形で本郷の事務局に、その後に文部省に示されています。同年7月の学部交渉では「具体的計画には至っていない」として「廃寮」計画自体存在しないかのような発言をする一方、夏には関係省庁・関係部局との間での折衝が寮生への相談抜きに繰り返されたのです。
また、教授会で決定する前であれば、確かに技術的には「廃寮」計画の撤回もあり得たと言えます。そこで、寮生の意見を反映させ得るうちに、と甘く解釈すれば、『事前に』とは教授会決定前にということになります。しかし、それも意図的に隠蔽し続けてきました。このことは、「廃寮」まずありき、という学部当局の態度を明確に反映しています。
![]() 交渉に出席する三鷹特別委員会の面々。左より、刈間・玉井・小林・池田・吉岡(写真は96年11月28日・南ホールへの電気供給停止後の交渉) |
ここまでの問題点
「廃寮」計画公表から計画強行宣言までの経緯を見ましたが、学生側の要求がことごとく拒否されているのが分かります。このことは、前述した学部当局の「84合意書」の歪曲した解釈にすら悖るものです。学部当局は「公的な意志表明」とは「廃寮」決定後の学生向け公示文書等のことであり、「廃寮」決定後は充分に意見の把握・検討をした(裏を返せば、決定以前に学生の意見を聞く必要はない)と述べています。仮にそのような解釈に沿うとしても、充分に意見の把握・検討がなされたとは決して言えません。寮生・学生の「廃寮」反対の意見を無視した挙げ句、臨時教授会決定から僅か3カ月後に計画強行を宣言したからです。彼らの解釈に沿っても、「84合意書」違反は隠しようのない事実です。
この時期の学部当局の行動の問題点について、以下の五点に絞って考えてみましょう。