4月19日第6回口頭弁論報告

第6 控訴人らには占有権原がある

1 はじめに

本件は、一般の建物明渡訴訟の形を取るが、被控訴人の請求の当否を論ずるに当たっては、対象となる不動産である駒場寮が国有財産であるので行政法上の検討が必要なほか、駒場寮が東京大学内における施設であることからして「大学の自治」への配慮が不可欠である。
ところが、原審が示した判断及び被控訴人の主張は、以下にみるように行政法上全く成り立たず、この点からしても原判決は破棄を免れない。
以下、原審の判断及び国側の主張が誤りであることについて、行政法上の観点から論ずる。

2 管理権限委譲に基づく控訴人らの占有権原

(1)

 控訴人らは、駒場寮自治会に対する管理権限の委譲による分属に基づく駒場寮自治会の占有権原を主張するものである。
 もちろん、ここでいう管理権限の委譲とは、駒場寮自治会に対する全面的、包括的な委任を意味するものではない。駒場寮の管理権限は旧制一高当局、およびそれを引き継いだ東京大学学長は、駒場寮自治会との間の合意に基づき(その補助執行者としての教養学部長を介在させながら)、その管理に関わる事務処理のうち、入寮者の選考をはじめとする具体的な駒場寮の運営に関する事務の処理については、駒場寮自治会に委託した、それによって、東京大学学長と駒場寮自治会との間に駒場寮の事務処理に関する請負契約が成立し、その範囲で駒場寮の管理権限が委譲され、それぞれに分属されると主張するものである。
 そして、駒場寮自治会は、東京大学及び国に対して、この合意により委譲された管理権限を、建物の運営管理という性質上、占有権原として主張でき、その合意によって駒場寮に対する東京大学当局の管理権限の行使が制限されるのである。
 しかし、原判決は、まず「法律による行政」論を持ち出して、駒場寮自治会に対する管理権限の委譲は法律上できないと判断する。その論理の誤りを、以下に明らかにする。

(2) 原判決の「法律による行政」論の誤り

1) 原判決は、「学長が有する本件建物の管理権限は法律による委任にもとづくものであるところ、法律による行政の法理によれば、右委任された権限を新たに第三者に委任するためには、法律上の根拠が必要であるというべきである。本件において、東京大学が被告駒場寮自治会に対して本件建物の管理権限を委譲する旨の法律は存在しないのであるから、学長が被告駒場寮自治会に対して本件建物の管理権限を委譲することは法律上できないものといわなければならない。」(原判決72〜73頁)と論ずる。
 たしかに、原判決が指摘するとおり国有財産法、文部省所管国有財産法取扱規程等の法令には駒場寮の管理権限を駒場寮自治会に委任できる直接的な明文規定は存在しない。しかし、このような明文規定が存在しないからといって、「法律による行政の法理」を根拠として東京大学が駒場寮自治会に権限を委譲し分属させることが法律上禁じられていると解することは明らかに論理の飛躍があるといわなければならない。
2) 「法律による行政の法理」とは、そもそも、行政権の行使を法で拘束し、時の為政者の市民生活に対する過剰な干渉を排除することにより、市民の自由と財産を守ることにその本質を有し、行政が市民の権利を侵害・制約するような行為(処分)を行うには、法律の規定に基づかなければならないということを表明したものである。
 この点、本件で問題となっているのは、駒場寮管理権限の委譲の可否という行政の権限の分配に類似する問題である。このような行政の権限の分配の関する法律上の規定の有無の問題は、国民の権利を侵害・制約するような「行政作用の根拠ないし基準を定める行政作用法とは区別されなければならない」というのが一般的な解釈論である(田中二郎「新版行政法」中巻・14頁など)。
 したがって、「法律による行政の法理」から、法令上の明文規定がなければ、権限の委譲はできないという結論を導き出すことはできない。
 本件のような行政の権限の分配に関しては、必ずしも法律上の明文の規定がなくても、それぞれの組織の自律性に委ねられるべきものであるというのが、一般的な考え方である(前掲書・16頁など)。
 この考え方は、行政実務においても、定着しているものである。例えば、『行政財産の実務』(財団法人大蔵財務協会発行)では、「各省庁の長が、管理者としての責任を果たすに足りるだけの権限を留保し、十分な監督がなされる場合においては、特に法令上の規定がなくても、行政財産の管理に係る事務の一部を国(及び地方公共団体)以外の者に委託することができないとは解されない」と説明しているところである(同書279〜280頁)。

(3) 大学自治にもとづく大学の権能に関する誤った解釈

1) 以上のとおり、法律上の明文規定がなくても、法令の規定にもとづく管理権限者が他の者に行政財産の管理権限を移譲することは一般に否定されない。このことは、憲法23条にもとづく大学自治を保障された大学にはいっそうあてはまることである。
 すなわち、原判決も認めるとおり、「大学は・・・その設置目的を達成するために必要な事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有」することは争いのないところである(最高裁昭和52年3月15日判決)。
 ところが、原判決は、大学が有するこのような権能を一般的に認めながら、「およそ学生について、法律に明文の規定がある事項について、これと抵触する事項を学則等により自在に制定する権限があるということはできない」(原判決74頁)としたうえで、「国有財産法及び法律による行政の原理によれば被告らに本件建物の管理権限を認めることはできないのであるから、大学の自治を根拠としても被告らに本件建物の管理権限を付与することはできない」(原判決75頁)と判示している。
 原判決の結論は、要するに、大学が自主的な判断にもとづいて駒場寮自治会に駒場寮の管理権限を移譲するということは、「法律の明文の規定に抵触する」というものである。
2) しかし、国有財産法、文部省所轄国有財産取扱規程、等の法律に駒場寮自治会に管理権限を移譲する旨の規定が存在しないことは事実であるが、逆に、駒場寮自治会への管理権限の移譲を禁ずる明文の規定が存在しないことも事実である。
 この点で、行政財産に付き「私権の設定」を禁じた国有財産法18条が問題となるので、以下に検討する。

3 国有財産法上の問題について

(1) 駒場寮自治会への管理権限の移譲は国有財産法の規定の趣旨に反しない

 そもそも、国有財産法18条が、行政財産について一般に「私権の設定」を禁じている趣旨は、
 第一に、行政財産が特定の行政目的のために使用される公共の財産であることから、行政財産が本来の目的のために使用されることを確保するためである。
 第二に、公共の財産について、特定の私人がその使用によって私的な利益を追求することは、公共性に反し、国民の間に不公平をもたらすことになるからである。
 このような国有財産法の趣旨に照らせば、駒場寮自治会への管理権限の移譲は、趣旨に反するものでないどころか、むしろ国有財産法の趣旨に合致するものといえる。
1) まず、大学から駒場寮自治会への管理権限の移譲は、大学と大学自治の構成員である学生の自治団体との間の合意にもとづくものであり、国有財産法が予定している外部の第三者たる私人に対する「私権の設定」とは性質を異にする。すなわち、駒場寮自治会の管理権限は、学生寮という行政財産の適正な管理運営を行うために必要不可欠なものとして設定されたものであって、私的利益を追求するためのものではなく、公共性を有するものである。
2) つぎに、駒場寮自治会に駒場寮の管理権限を移譲することは、学生寮としての駒場寮の設置目的に合致するものである。
 とくに、駒場寮の管理運営について駒場寮自治会に権限を移譲することは、学生自身がもっとも学生寮について利害関係を有するという点からも、また、自主的な管理によって学生の人間形成が図られれるという点においても、本来の設置目的に沿ったより適正な管理運営を実現する保障となりうるものである。
3) 第3に、駒場寮自治会に管理権限を移譲することは、駒場寮に関する大学の意思決定に学生の意思を反映させることになり、大学の管理運営が恣意的になされることを防止することにつながる。すなわち、国有財産の適正な管理運営という法の目的にも沿うものである。
 この点については、文部省学徒厚生審議会答申「大学における学寮の管理運営の改善とその整備目標について」(乙56)で、文部相自身、「実際の学寮運営にあたって寮生の自治に委ねることが適当な分野については、大学の責任において、できる限り寮生の自治に任せ自立の精神と自治能力の涵養を図ることが適切である。即ち、このような自律的運営のみならず、それによって生ずる結果そのものが自主的な人間形成、民主的な集団指導及び集団への参加を学ぶうえに意味を持つのである」と述べている。
 この学生寮が果たす学生の教育及び研究の機会の保障と自主的人間形成、人間的交流の持つ積極的意義については、控訴人らが控訴審において新たに提出した書証によっても明らかである(乙168ないし170、180ないし182、190ないし197)。
 こうした大学における管理権限の委譲・分属という考え方は、行政法の分野でも一般に承認されるものであり、行政法学者による以下のような重要な指摘もなされている。
 「大学の施設の管理運営について、国有財産法を根拠に前述のごとき大学側の専属管轄権を主張する点については、そこに議論のまやかしがあることを注意しよう。・・・しかし、同じく国の施設といっても、国会、裁判所、一般の官庁等の施設は、それぞれその施設に特有の目的と存在理由を有するものであり、かつまた、大学の施設といっても、その目的・性格はすべて同じではない。教官研究室、図書館、講堂、事務室、運動場、サークル室など、全て国有財産としての大学の施設であるとはいえ、それぞれ異なった役割を果すべく設置されたものであり、その形式上の管理責任者が、当該施設をいかなる範囲と程度において実質的に管理するかという問題は、それぞれ具体的に判断すべきものであり、かつその判断は、一般的には、法令の禁止に違反しないかぎりにおいて、大学内において決定されてよいであろう。法の形式上の名義人と大学の自治の下における実質的な決定者との相違は、たとえば、教育特別公務員特例法における学部長の選挙についても見られるごとく(同法四条一項、二五条一項一号)、大学の自治が保障されるところでは、よく見受けられるところである。大学自治の内容を、一部官庁や一部の審議会で一義的かつ統一的に規定し説明することは今日のごとき動揺の時代においては、より強くいましめなければならない。」(室井力『現代行政法の原理』1973年・勁草書房・332〜333頁)
 原判決が国有財産法に加えて「法律による行政の原理」なる一般原理を付加しているのは、裁判所自身が、駒場寮自治会への管理権限の移譲に「抵触する」「法律の明文の規定」が存在しないことを認めざるを得なかったからにほかならない。

(2) 国有財産法は私権の設定すべてを否定するものではない

1) 駒場寮自治会への管理権限の移譲は、請負契約とも言うべき合意にもとづく権限の設定である。そこで、私法上の権利の設定に類似した側面を有していることは事実である。
 しかし、国有財産法18条の規定から、ただちに行政財産に対するあらゆる私法上の権利の設定が禁止されていると解することは、論理の飛躍である。
 そもそも、国有財産法18条は、行政財産に一切私権の設定を認めない趣旨ではなく、むしろ行政財産の管理者は、国有財産法の制約の範囲で、私法上の使用権を設定することができるというのが通説的見解である(新版行政法全訂第2版 田中二郎著 乙63)。従って、国有財産法は、行政財産に対する私権の設定を絶対的に禁止する趣旨ではない。
2) その実定法上の根拠としては、地方自治法244条の2がある。
 同条は第3項において「普通地方公共団体は、公の施設の設置の目的を効果的に達成するために必要と認めるときは、条例の定めるところにより、その管理を普通地方公共団体が出資している法人で政令で定めるもの又は公共団体若しくは公共的団体に委託することができる。」と定める。
 この規定の趣旨は、委託によりその国有財産の存在または設置の目的が高められ管理がより効率的に行われるのであれば、国有財産の管理を私人にも委託することができるということである。それは、法制度的には、国有財産法というだけでは管理の委託が禁止されないということを表明しているものといえる。
 大学について、私権の設定を許容し、少なくとも占有使用の事実そのものを法的保護に値する利益として認める裁判例もある。東京工業大学の学園紛争時における構内立入禁止措置を違法として職員組合が損害賠償を求めた事件の判決である東京地裁判決昭和46年12月24日が次のように判示している。
「行政財産であっても、その使用を許可することができるのであるから(国有財産法第一八条三項)、学長の原告に対する組合事務所の使用承認は、右規定にいう使用許可という他はない。そうすると、この使用許可が無償であることから見れば、これにより少なくとも、原告に対し民法の使用貸借類似の私法上の権利が設定されたものと認められるのである。仮に国有財産法第一八条一項の適用により、これを私法上の権利と解することに難点があるとしても、原告が学長の承認により多年継続して大学建物の一部を使用していることは、法律上保護に値する利益であることは否定できない」。
 したがって、東京大学から駒場寮自治会への権限の移譲は、法律の明文と抵触するものではない。駒場寮自治会が駒場寮の管理権限を有することは、国有財産法上なんら問題はなく、この点を看過した原判決の誤りは明白である。

(3) 委託成立の要件

 一方、同条によれば、委託については条例による根拠づけが必要であるが、その趣旨とするところは、恣意的な委託を防ぐために、条例による根拠づけ統制を必要としているものである。そして、この趣旨を国有財産の管理の場合に当てはめてみると、国有財産の管理の委託の限界は、公権力の行使としての管理権限の行使に触れる範囲と程度の委託は認められない、ということができる。
 問題は、この「管理権限の行使に触れる範囲と程度」の判断基準であるが、本件が大学の自治にかかわる問題であることからすれば、まさに大学の自治の担い手である教授会及び学生・寮生により形成されるべきであり、その際には、以下の事項を判断要素として考慮すべきである。
 a 東京大学におけるこれまでの大学の自治のありよう、
 b 大学の自治における学生の位置づけ、
 c 学寮の管理の在り方に関する意思の形成がどうなされていたのか、
 d 駒場寮の管理に関わる事務の委託の実際がどうであったのか、
 e 法形式的な管理者権限者と実質的な管理権限者とは、どのような関係にあり、その関係は法令に違反しないようどう調和させられてきたのか、
 f これらがどう合意されてきたのか
である。
 そして、これらについては、まさに従来控訴人らが述べてきた、1890年における旧制一高寄宿寮への自治権の委譲とその後の全寮制の強力な寮自治運営(乙162の1,2、乙167)、戦後新制東大発足後も引き継がれた寮自治権とそれに基づく管理運営の実際(乙167)、入寮選考を全面的に寮自治会に委ねるとの合意に至った1966年の入寮許可証問題の経緯、1969年の東大合意書において学生を大学自治に参加する主体として位置づけた全構成員自治の理念、「大学側は寮生活に重大な係わりの問題がある時は事前に寮生に相談する」という明文確認を含む1984年の合意書(84合意書)、廃寮決定の前後の時期における寮自治会による整然たる管理、などに示されているのである。それが、「適正な合意手続と形態と方法」でなされてきたことは明らかである。それについて次章に詳述する。


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