4月19日第6回口頭弁論報告
第10 廃寮決定の重大な瑕疵、裁量権の逸脱
1 廃寮決定の法的性質について
(1) 廃寮決定の法的性質については、原判決は東京大学学長の行政処分であると判断しているが(原判決79頁)、被控訴人は、東京大学学長による廃寮決定は、「国有財産法上の用途廃止の決定」であり、「公用財産を消滅させるためには、別に公用廃止行為を要せず、事実上その使用を廃止することによって公物たる性質を失うものと解されている(原龍之介・公物営造物法一六ページ)。したがって、本件建物を管理する東京大学学長が事実上その使用を廃止すれば用途廃止の効力を生じ、別に法律上の行為を要しないのであるから、かかる性質を有する廃寮決定を行政処分と解することはできない」(被控訴人準備書面(一)18〜19頁)、あるいは「用途廃止たる廃寮決定は、行政庁内部の意思決定にすぎず、この決定によって直接入寮者の権利義務あるいは入寮許可に影響をあたえるとする法律上の根拠はないから、同決定は行政処分ではない」(同21頁)ものと主張する。
そして、このような被控訴人側の主張の前提は、寮生による駒場寮の使用は、東京大学学長が駒場寮を学寮としての用に供していたことによる反射的利益にすぎない(同18、19頁)という考え方である。
しかしながら、控訴人らが今まで縷々主張してきたような駒場寮の管理の歴史的経緯に鑑みれば、寮生による駒場寮の利用は、単なる反射的利益による事実上の利益にすぎないものとは決していえないことは明らかであり、法的保護に値すべき法的な権利あるいは利益というべきものである。
また、このような反射的利益論の背景にある営造物の設置・廃止は行政主体の自由であるとの特別権力関係論にもとづく営造物論は、特別権力関係論の破綻にともない、今日の行政法学会では採用されていない(神長意見書・乙165)。そして、この点については、最高裁判所も公道(村道)についての事例において「道路の通行の自由権は公法関係から由来するものであるが、各自が日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできないものであるから、これに対しては民法上の保護を与えるべきであり、この権利が妨害されたときには不法行為上の問題となり、妨害が継続するときは、排除を求めることができる」(最判昭和39年1月16日民集18・1・1)として、限定的な言いかたであるにせよ、住民は反射的利益として公道を用いているものではないとしており、最高裁判所においても反射的利益論は採用していないものといえる。
なお、被控訴人は、準備書面(1)21頁において、東京高裁平成7年11月21日判決を引いて、用途廃止は行政庁内部の意思決定に過ぎないから行政処分にあたらない、としているが、同判決は、防衛庁長官がした防衛庁庁舎の取壊決定が取消訴訟の対象となる行政処分に当たらないとされた事例であって、用途廃止の一般論を論じたものではないことを付言しておく。
(2) したがって、今日の行政法学説の見地及び裁判例の動向からすると、東京大学学長による廃寮決定は行政処分としての裁量処分というべきであり、このような法的性質である以上、その処分に重大な瑕疵があれば、その処分は無効となるのである。また、裁量権の濫用があれば、その処分は違法となり、取消の対象となる。
2 廃寮決定の有効性について
(1) 大学は学生との協議を尽くさずに廃寮の意思決定はできない
控訴人らは、第6及び第7において、駒場寮の管理運営に関する駒場寮自治会と大学との合意を駒場寮自治会が合意にもとづいて取得した管理権限=占有権原という角度から論じてきた。
駒場寮の管理運営に関する駒場寮自治会と大学との合意の存在は、大学側からみれば、大学が駒場寮に関する意思決定を独断でなし、また、駒場寮に対する権限を専権的に行使することができないという制約を課せられていることを意味する。
その制約に違反することは、その権利侵害の態様や経緯により、前述した手続に関する瑕疵および内容に関する瑕疵にあたりうるものである。
大学の権限行使に関する制約の内容について、以下に検討する。
1) 大学の意思決定に関する手続的要件
ア 東大確認書と東大の大学自治における学生・寮生の地位
前述のとおり、東大学生と東大当局との間には、1969年1月10日のいわゆる7学部集会において、学生と大学当局との間で、26項目の「確認書」が結ばれている。この「確認書」の中では、「大学の管理運営の改革について」、「大学当局は、大学の自治が教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであることを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利をもって大学の自治を形成していることを確認する。」ことが明言されている。この内容は、東京大学評議会決定でも再度確認されるとともに、大学と学生を拘束するものと明確に位置づけられている(乙1)。
そして、「学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利をもって大学の自治を形成している」という意味は、単に大学当局が大学の意思決定や管理運営において学生の自主的な活動を尊重するとか、学生の意見にも耳を傾けるといった「紳士協定」あるいは「精神規定」にとどまるものではなく、従来大学当局(教授会)の専権事項とされてきた大学の管理運営事項や意思決定について学生の固有の権利を認めたところにその意義がある。つまり、大学の管理運営について大学当局のみが法的権限を有するとされていた事項について学生にもその権限を移譲すること、あるいは大学としての意思決定過程に学生が参加する権利を認めることにその主眼があったのである。
なぜなら、「確認書」以前のいわゆる教授会自治の考えからのもとでも、学生の自主的な活動を尊重するとか、学生の意見にも耳を傾けるといったレベルでの「学生自治」を認めることはありえたが、東大闘争では、まさにそのような大学当局の大学自治の「運用」のありようによってしか認められない「学生自治」が問い直されたものであったからである。
そして、東大当局自身もこの考え方にもとづいて、学生と教官との役割の相違を前提としたうえで、学生もまた「大学の自治を維持する機能と責任を分担すべき存在である。」と認めているのである(東京大学改革準備調査会報告書・小林直樹・『憲法判断の原理』上巻・178頁)。
イ 「84合意書」で再確認された手続的制限
その後、1984年5月24日に、駒場寮の光熱費の負担をめぐって駒場寮自治会と教養学部第8委員会との間で合意された「84合意書」は「第八委員会は従来からの大学自治の原則を今後も基本方針として堅持し、駒場寮における寮自治の慣行を尊重する。」(第1項)および「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。」(第3項)と明確に規定している。
この確認事項は、まさに、大学当局が駒場寮に関する重大な問題について、駒場寮自治会の意思を無視して一方的に決定をすることは許されないという当然の内容を再確認したものにほかならない。
ウ 合意により定められた大学の意思決定に関する手続的要件
右「東大確認書」、「84合意書」は、いずれも大学の意思決定をめぐって大学・学部当局と学生・寮生が対立する事態が生じた後に、両者の交渉によって締結されたものであり、大学の内部的な意思決定手続を規定したものとして、重大な意義を有するものである。
これらの合意によって、駒場寮の存続に関わるような重大な決定を行う場合には、事前に学生・寮生に説明をし、合意に向けた誠実な協議を尽くすことが、大学内部の意思決定に関する手続的な要件として定立されたことになる。このような手続的要件の定立は、大学が自治権にもとづいて自ら設定した自主規範にほかならない。
2) 手続的要件に反する決定の効力
ア 本件で問題となっている廃寮決定は、駒場寮の存在そのものに関わる決定であるから、以上の手続的要件を満たす必要性はいっそう大きいといえる。
ところが、大学は、後述するとおり、駒場寮自治会や学生に対して、事前の説明すら行わないまま廃寮決定を行った。大学の行った廃寮決定が、大学が自ら定立した大学の意思決定に関する手続的要件に反することは明らかである。
すなわち、駒場寮自治会が前述したように請負契約ともいうべき管理事務の委託にの合意に基づき、駒場寮の管理権限の委譲を受けていた以上、行政処分の意思決定も、私法上の意思決定と同様、当事者間で事前に合意した意思決定の方法に拘束されるのであって、これに反する場合はその意思決定の過程に重大な瑕疵を帯びるものである。
イ ところで、教授会や評議会の議決を得ないまま、学長(総長)や学部長だけの判断で駒場寮の廃寮を決定したような場合には、大学内部の意思決定における手続的要件を欠くものとしてこのような決定が無効になることは、被控訴人も認めるところであろう。
学生との関係で大学に課せられている手続的な要件も大学の意思決定に関する要件にほかならないから、この手続的要件に違反して決定がなされた場合には、教授会や評議会の議決を得ないまま決定がなされた場合と同視すべきである。
すなわち、学生との事前の協議を尽くさないままなされた廃寮決定は、大学の意思決定に関する要件を欠くものとして無効というべきである。
3 廃寮決定の時期について
廃寮決定の法的性質と手続適要件に違反する決定の効力が以上のようなものであることを前提として、つぎに本件で廃寮決定がいつなされたかを検討する。
(1) この廃寮決定の時期については、様々な意見があるところであり、原判決は1995年10月17日としているが、乙201号証からすれば1993年11月の段階で廃寮決定がなされたとみることができる。すなわち乙201号証は「三鷹国際学生宿舎の建設と駒場寮跡地利用計画について」なる東京大学教養学部作成の文書であるが、これによれば「93年11月の廃寮決定」なる記載があり、1993年11月の段階で廃寮決定がなされたものと理解することができる。そして、その一方では、1991年10月に教養学部教授会及び東京大学評議会において駒場寮を廃寮とする決定がなされているし、「学生の皆さんへ」(乙198号証)及び「入寮募集停止通達」(乙199)によれば1994年11月に廃寮決定をしたとの記載がある。
この点については、行政処分たる廃寮決定の有効性を検討する上でも重要な点であるばかりではなく、いわゆる適法入寮生の範囲についても影響をおよぼす問題である(かかる観点から、控訴人らは、被控訴人に対し2001年3月15日付求釈明申立書で、国及び東京大学側の認識する廃寮決定の時期がなぜこのように変遷したのかにつき釈明を求めたが、被控訴人は、誠に遺憾ながら、その準備書面(3)及び(4)において、何らの説明も付さずに1995年10月17日をもって廃寮決定がなされたと回答するのみである。被控訴人のこのような訴訟追行態度は、まさに訴訟上の信義則に悖るものである)にも関わらず、はなはだ不明確な状態にある。
(2) まず、ここで翻って行政処分の効力が発生する過程について考察すると、「行政行為は、行政機関の精神作用の表示であるから、行政機関の内部的な意思の決定があっただけでは、未だ行政行為が成立したとはいえない。それが、行政行為として、外部に表示されるか、少なくとも外部的に認識されうる表象を具えるに至ったときにはじめて行政行為が成立するのであって、相手方の受領を要する行政行為にあっては、既に成立した行為が相手方に到達することによって、行政行為として相手方を拘束する力が生ずるものと解すべきである。」(田中二郎・行政法総論320頁)、「行政庁の処分処分については、特別の規定がない限り、意思表示の一般法理に従い、その意思表示が相手方に到達した時と解するのが相当である。」(最高裁1954年8月24日判決・刑集8巻8号1372頁)とされている。それからすると、本件廃寮決定は次のような過程を経て行政処分の効力が発生するものと考えられる。
@実体上の意思決定
A手続きについての意思決定
Bそれらに基づく公示
(3) そこで、本件につき検討すると、駒場寮の用途廃止の効果を生じさせる廃寮決定については、原判決のように、廃寮告示がなされた1995年10月17日としても、誤りではないだろう。
しかし、同日の評議会決定は1996年3月31日をもって駒場寮を廃寮にするとの告示をなすことについての決定である。即ち、上記ABの過程に当たるものであって、廃寮決定の実体上の意思決定までも含むものではない。
したがって、実体上の意思決定がなされたのは、1991年10月の教養学部教授会及び東京大学評議会の決定の段階か、あるいは1993年11月、1994年11月のいずれかの時期ということになる。
そして、84合意書に言うところの「寮生活に重大な関わりのある問題」としての廃寮決定の時期は、大学自治の慣行、とりわけ84年の合意書の意思解釈によって決せられるべきは当然である。
とすれば、学生との合意違反として問題となる廃寮決定は、廃寮という事態の寮生活への影響の重大性、その時点で決定が不可変更的なものであったことからして、1991年10月の教授会・評議会決定である。行政処分としての廃寮決定は、この1991年から1995年に至る過程として考えるべきであり、とりわけ、こちらの時期の廃寮決定こそが手続の瑕疵として問題として検討されるべきである。小川晴久東大教養学部教授の陳述書(乙172)にあるように、その点について曖昧にする議論は一般人には理解できず、およそ納得の出来ないものである。
4 1991年10月廃寮決定の重大な瑕疵
(1) 原判決は1991年10月の廃寮決定があたかも有効になされたかのごとく判示するものであるが、この過程においては重大な瑕疵がある。
この1991年の駒場寮の廃寮決定は、大学の意思決定に関する要件として不可欠な駒場寮自治会や寮生・学生との事前の説明と合意に向けた協議を行わないまま、行われたことに争いはない。
それは、駒場寮の廃寮決定は、東大確認書や84合意書など、大学当局と学生との間で文書化された合意の明文の規定にも反することを意味する。
廃寮決定は、大学が意思決定を東大確認書が「学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利をもって大学の自治を形成している」と規定し、従来大学当局(教授会)の専権事項とされてきた大学の管理運営事項や意思決定について認めた「学生の固有の権利」を無視してなされたものであり、東大確認書に明確に違反する。
また、84合意書に規定された、「従来からの大学自治の原則を今後も基本方針として堅持し、駒場寮における寮自治の慣行を尊重する。」「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。」という条項にも明らかに違反するものである。
こうした決定をなした大学の姿勢は、自らが定めた大学内部の意思決定の要件を全く無視するものであり、かつ、それまでの大学の立場とも相反するものであった。
そして、この合意違反は、従来の大学自治の慣行、及び、貧しい学生の学習権の保障の場として、自主的人間的成長の場として大きな役割を果たしてきた駒場寮の自治権を侵害することであり、被侵害利益は甚大である。
(2) ところが、原審において被控訴人申請の永野三郎証人は、この明白な事実について、あたかも大学側が意思決定に必要な手続的要件に違反していないかのような事実に反する弁解を繰り返している。
そこで、以下、永野証人の証言が事実に反することおよびその不合理性を指摘することにする。
1) 決定前に学生・寮生の意見を聴取することは可能であった
永野証人は、1991年の廃寮決定に先立つ概算要求の段階では、具体的でないので学生の意見を聞くことは出来なかった旨証言する。
しかし、具体性のない提案だけで予算が付くはずもなく、91年8月の段階で予算が付く見込みがあった以上、かなり具体的な構想があったはずである。長年、東大教養学部学生専任教官を務めた西村秀夫氏が指摘するように(乙167)、概算要求を提出する前、遅くとも91年10月の教授会決定の前に、学生の意見を聞くことは十分できたはずである。
しかも、91年10月9日の臨時教授会議事抄録(乙174)によれば、本件を承認するまでの手続きについては、「本件については事案の重要性に鑑み、既に五科長会議を9月18日に開催して説明を行い各科で討議を願いしたうえ更に先の臨時第一委員会(10月3日)においても重ねて説明を行い、各科における説明と討議の時間を十分とったうえで本日の臨時教授会に臨んだもの」だと学部長が教授会で説明している。教官らに対しては事前に説明と討議の時間を十分にとれるのに、学生・寮生に対してはそれがなし得ないと言うのは、およそ通用しない言い訳である。
学部長は、「討議の手続は十分に尽くしたと考えている旨」説明しており、討議が必要な事案の重要性があることは認めているが、当事者である学生・寮生に対して何の説明もせずに「討議の手続は十分に尽くしたと考えている」というのは極めて問題である。むしろ学生に対しては秘密にしていたことが窺われるのであり、大学及び学部当局の責任は重い。
この過程に問題があったことは、学部当局も近年の学部交渉の席上で認めているのである。更に、原判決も、教養学部教授会及び東京学部評議会の決定の際には「教養学部は、事前には寮生を含む東京大学の学生の意見を聴取することがなかった」(原判決12頁)と認めている。
この点永野証人は、原審において、教授会で決める前に学生に相談しないのは当然であるなどと証言している。
しかし、すでに述べたとおり、駒場寮にかかわる問題については、概算要求の段階から、学生との説明・協議を尽くすというのが、確立された学内の手続であった。右の永野証言は、この点を全く無視するものである。
実際、駒場寮廃寮問題の後、学生会館の建て替え問題が起きているが、この学生会館の問題では、学部当局は予算の概算要求の頭出しについて学生側と協議を行っている。そして、協議の結果「予算の可能性など全く議論される以前に見送って」いるのである(原審永野証言・93頁〜94頁)。永野証人は、予算獲得のためには見通しがつくまで学生に相談はしないのが通常であるなどと証言しているが、この学生会館の取り扱いをみれば、予算の概算要求の頭出し以前に学生と協議するのが東京大学におけるルールであることが裏づけられる。
2) 予算請求は大学の公的意思の表明にほかならない
永野証人は、概算要求を出す段階では、未だ予算がつくか判らない、文部省に駒場寮の廃寮を前提にした計画に基づく予算請求をすることは、大学の公的な意思表明に含まれないと考える旨証言する。
84合意書は、「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する」こと確認している。ここでいう「大学の公的意思表明」には、駒場寮にかかわる予算の概算請求を行うことも含まれることは、成瀬証人の証言によって余すところなく明らかにされている。
永野証言は、この明白な事実に反するものである。しかも、永野証人は、証言を行うに際して、当時の第八委員に右の合意の内容やその運用について確認すら行ったこともなく、確認をしなかった理由についても「必要はないと考えたから」という無責任な証言を行っている(原審永野証言・30頁)。
したがって、予算請求は「大学の公的意思表明」に含まれないなどという永野証言は全く信用できないものである。
3) 1991年の教授会・評議会決定は廃寮の不可変更決定
ア 永野証人は、91年10月の教授会における駒場寮廃寮決定について、予算の内示が行われる91年12月末、あるいは予算が確定する92年夏の示達の段階までは、撤回もあり得た、また、示達の段階で「お断りすることもあり得た」などと証言する。そのうえで、永野証人は、学生側の強い反対があれば、三鷹国際学生宿舎を建設しないで、駒場寮だけを残すという選択もあり得たなどとして、1991年(平成3年)10月9日の時点ではまだ駒場寮の廃寮は決定していなかったかのごとく証言する(原審永野証言・3頁)。
しかし、教養学部当局は、当初から、教授会・評議会決定は決めてしまったこととして変更できないという態度に固執していた。学生との話し合いにより右決定が変更可能であると述べたことはなかった。
また、1991(平成3)年10月17日に発表された当局の文書でも強い反対があれば計画を撤回するということはまったく書いていない(甲15・20頁、原審永野証言・43頁)。
永野証人自身も、1991(平成3)年11月28日に行われた学生との交渉では、「ここで取り下げるとメンツ信頼にかかわる」、「文部省と約束してしまったんだ」とまで発言している(原審控訴人==・7〜8頁)。更にこの日、強い反対はないとして三鷹国際学生宿舎の推進が宣言されているのである(乙17の3)。
イ 永野証人は、教授会決定は「提案」だなどといいながら、その一方で、その期限は予算の内示がなされる12月が一つの目処であると証言している。そして、大学当局は、翌1992年1月には、三鷹国際学生宿舎の推進宣言を行ったと証言している(永野証言・67頁〜69頁)。しかし、7月の交渉では、三鷹新宿舎の計画が具体化していないと事実に反する説明をしておきながら、10月になって突然教授会決定をし、反対するなら12月までに「無期限スト」等の反対行動をしろというのは、学生に対して不可能を強いる暴論である。
ウ このように、学部当局は、教授会での決定の直後の交渉から、廃寮はすでに「もうやめられない」という態度に終始し、学生との話し合いによってこの方針が変更されるという姿勢はみじんも示していなかった。したがって、1991年の教授会と評議会での決定は廃寮の不可変更決定にほかならない。
1991年11月8日付新寮建設問題資料集(乙178)によれば、10月24日の学部説明会において、学部当局は「文部省は駒場寮の廃寮とセットでなければこの計画に予算は付けない」と発言している。また、長く学寮担当の学生部専任教官を務めた西村氏は、陳述書(乙167)において、「駒場寮の廃寮は、60年安保の頃から「学寮は学生運動の拠点になる」として管理を強化してきた、文部省の意図が背後にあるのではないかと思われます」と述べている。これらのことは駒場寮廃寮が文部省の予算誘導によるものである事を示すとともに、東大当局・学部当局が文部省に駒場寮の廃寮を約束して三鷹国際学生宿舎の予算を獲得したことを示している。このような約束をしてしまった以上、東大当局・学部当局が駒場寮廃寮決定を撤回することはありえなかったのである。
にもかかわらず、永野証人が、前述のような証言を行ったのは、廃寮決定手続が学内の意思決定手続に違反するものであることを永野証人自身がもっともよく認識しているために、廃寮決定が手続違反であるとの批判をかわそうという意図にもとづくものにほかならない。
4) 以上のとおり、原審における永野証人の弁解によっては、駒場寮廃寮決定が東大確認書及び84合意書等で確認された大学の意思決定に関する手続的要件に違反してなされたものであることを否定することはできない。むしろ、永野証言によって、大学当局の手続違反の重大性がいっそう浮き彫りになったというべきである。
(3) 本件紛争の核心部分に対する判断を脱漏させた原判決の是正を
原判決も「第二 事案の概要」、「前提事実」において、教養学部当局が84年合意において駒場寮自治会との間で行った確認に反し、駒場寮の廃寮という重大な意思決定を事前に寮生・学生らの意見聴取を何ら行わずに行ったという重大な手続違反を認定した。
ところが、原判決は、肝心の「第三 争点に対する判断」の中では、この点に全く触れていない。
すなわち、原判決は右の中の「三 被告駒場寮自治会への駒場寮の管理権限の委譲について」の中で寮自治の伝統や84年合意等について一応触れてはいるが、右部分では寮自治会の占有権原について論じているのみであって、手続違反が廃寮決定及び明渡請求に対し及ぼす効果については全く判断が回避されている。
既に述べたとおり,控訴人らは原審において占有権原とは独立の争点として右の手続違反の問題を提起し、詳細な主張を行っていた。むしろ、本件紛争の経過からみると、寮自治の伝統と東大確認書以来の大学自治の原則に反する右の大学当局の手続違反問題は紛争の核心部分であるといえる。
原判決が前記のとおり一方で手続違反の事実を明確に認定しながら、他方で争点に対する判断で全く回避してしまったのは、重大な判断の脱漏に当たることは明らかである。同時に、本件紛争の核心への論及を避けたという意味で、紛争解決という観点からも極めて問題である。
5 1993年及び1994年の廃寮決定の重大な瑕疵
ところで、1991年は廃寮の基本決定の段階であり(もちろん、上記のような重大な瑕疵を帯びるものであるが)、行政処分の効果発生のためには、1996年3月31日をもって駒場寮を廃寮にするとの確定的な実体上の決定は、別途なされる必要がある。そして、その決定は、評議会が「東京大学の全学的な最高意思決定機関」、「意思形成の場が合議体としての評議会」であるとされている東京大学においては、評議会でなされる必要がある。ところが、かかる意思決定については、何ら国側から主張立証されていないのである。それは遅くとも1996年3月31日の廃寮が前提の1994年11月14日の「入寮募集停止」通達(乙199)や同日付「学生の皆さんへ」(乙198)よりも前になされていなければならないのであって、1995年10月の決定を持ってこれに代えることは出来ない。
従って、有効な確定的な実体上の決定がないとすれば、本件廃寮決定を無効となし得る重大な瑕疵と言える。そこで、1993年11月廃寮決定及び1994年11月廃寮決定が確定的な実体上の決定として有効かを以下に検討する。
(1) 1993年11月廃寮決定について
「三鷹国際学生宿舎の建設と駒場学寮跡地利用計画について」なる文書(乙201)にある「93年11月の廃寮決定」は、廃寮の実体的意思決定としては無効である。
すなわち、乙201号証によれば、東京大学教養学部が東京大学学長の承認を得ることなしに、廃寮の決定をし、東京大学教養学部名で公示していた事実が認められる。しかし、これは、東京大学学長の正規の承認を得ずして@廃寮の実体的確定的意思決定A廃寮の手続に関する決定B廃寮告示をなしてしまったことを示しており、手続的に重大な瑕疵を帯びるものである。
また、後述するように、本件のような文部省所轄国有財産取扱規程34条に基づく用途廃止は、極めて限定され、同条の規制に服すべきものだが、同条所定の「取り壊し承認」の手続きがとられたのは1996年4月5日であって、この1993年11月からは2年半近くも後のことである。従って、この1993年の「廃寮決定」は文部省所轄国有財産取扱規程の規制を潜脱する脱法的決定である。この点も本件廃寮決定の重大な瑕疵であることは明白である。
よって、1993年11月廃寮決定は、重大な瑕疵故に無効である。
(2) 1994年11月廃寮決定について
「学生の皆さんへ」(乙198)の中には「平成8年3月31日をもって、駒場寮の寄宿舎としての機能は停止することとなります。以上の決定が東京大学全学の合意を得た方針に基づいていることは言うまでもありません」との記載がある。これは、裏を返せば東京大学全学で基本方針についての合意(即ち1991年10月の評議会決定)はあるが、「平成8年3月31日をもって、駒場寮の寄宿舎としての機能は停止する」ことについての東京大学全学の合意は、この段階ではまだなかったことを示している。にもかかわらず、教養学部の判断だけで、乙198号証をもって廃寮の公示をしてしまっているのである。
また、東京大学学長の承認を得られていないこと及び文部省所轄国有財産取扱規程を潜脱していることについては前記1993年11月廃寮決定の場合と同様であり、ここにおいても重大な瑕疵が存在しているものと言わざるを得ない。
よって、1994年11月廃寮決定についても重大な瑕疵故に無効である。
6 「教授会自治」をも否定する原判決の論理
なお、原判決が、「第三 争点に対する判断」の中では、もっぱら「東京大学学長による廃寮決定」のみを問題とし、大学の意思決定における東京大学評議会や教養学部教授会の役割を無視していることは問題である。
原判決は、本件の判断にあたって、国→文部大臣→学長という法令上の形式的な管理権限者の権限行使のみに着目している。しかし、東京大学においては、廃寮決定のような重大事項については教養学部教授会や評議会という合議機関での意思決定を経ないで学長(総長)が実質的な決定を行うことは全く想定されていない。すなわち、廃寮決定のような重大事項については、学長は実質的な決定権を有しないことが大学内でのルールとして確立しているのである。この点に関し、教養学部が発行している「駒場 一九九七」には「東京大学の全学的な最高意志決定機関は評議会」と記述されているし(38頁)、「東大白書第2号」でも「意思形成の場が合議体としての評議会であり、総長は、形式的には、全学的に形成された意思の執行機関であることになる」と記載されている(266頁)。
したがって、原判決の判断は、大学の意思決定において教授会や評議会の合議による決定が実際の意思決定であるという、大学自身も認めているルールすら無視したものにほかならない。
そして、原判決のような論理に立てば、法令上の形式的な権限者が決定すれば、学生の意見聴取のみならず、教授会での議論がなくてもそれは「適法」であるという結論すら招きかねない。その意味で、廃寮決定における手続違反の争点に対する判断をしなかった原判決の論理は、学生自治のみならず、教授会自治さえも否定するものであって、大学自治の完全な否定につながりかねない危険な論理といわざるをえないのである。
7 本件廃寮決定は違法・無効である
以上によれば、1991年10月から1995年10月までの過程としての本件廃寮決定は、幾重にもわたる重大な瑕疵を有するばかりではなく、有効な実体上の意思決定を欠いているものといわざるを得ず違法・無効と評価されるべきものである。
8 駒場寮自治会や寮生に対する明渡請求権は発生しない
なお、意思決定に関する手続的要件について学生との合意が存在することは、一定の手続的要件が満たされない限り駒場寮に関する大学の権限を行使しないという一種の権利不行使の合意がなされていると解することもできる。
そうすると、右の手続的要件に反する駒場寮の廃寮決定がなされた場合には、大学が廃寮決定にもとづいて学生に対する権限行使をする法的要件を欠くことになる。すなわち、廃寮決定そのものの効力の有無を判断するまでもなく、駒場寮自治会や寮生に対する明渡請求権は発生しないと解されるのである。
9 入寮許可取消処分について
(1) 廃寮決定は個々の寮生に対する入寮許可取消とはならない。
原判決は、廃寮決定は個々の寮生に対する入寮許可取消に当たるものとしている。
しかし、そうであるとすれば、神長意見書にあるように、個々の寮生について賃貸借関係が認められる以上、入寮許可の取消は、不利益処分であり、適正手続保護の観点から厳格な手続きが採られなければならない。従って、処分に際して告知・弁解・防御等の機会の保障と(最高裁昭和37年11月28日判決など)、不服申立についての教示がなされなければならない(行政不服審査法57条)。ところが、東京大学は、このような手続を全く踏んでいない。
被控訴人は、1995年10月17日の廃寮告示(甲22)と1996年4月1日の駒場寮委員会への廃寮通告(甲24)、廃寮掲示(甲25)を持って右の告示だと主張する。
しかし、そもそも、行政法上、行政行為は、行政権の濫用を防止するために個々独立のものとして厳格に解さなければならない。神長意見書も、「入寮許可の取消の意思を明確に表示した手続が行われるのが妥当である」と述べている。
その観点からすると、被控訴人が主張する廃寮の通告や告示は、不特定多数に対する行政庁の意思表示の方法であり、入寮許可取消の手続とはおよそ言い得ない。しかも、控訴人==の陳述書(乙171)にあるように、右廃寮告示は実際には読み上げられることもなかったのである。
以上により、原判決の判断は、適正手続を保障した憲法三一条に真っ向から反する。
(2) 不能な不服申立を強いる原判決
さらに、原判決は、大学の「許可」を得た被控訴人らがその占有権原を争うためには、「行政不服審査法、行政事件訴訟法に基づき右決定についての不服申立てをすべき」であるとしながら、「現時点においては、行政不服審査法上の審査請求の期間、行政事件訴訟法上の出訴期間を徒過しているから、右決定についての不服申立ての手続をすることができないことも明らかである。」とする(原判決79〜80頁)。
しかし、「廃寮決定」時において、それが入寮許可を取り消す不利益処分であることが明らかでなく、かつ、その旨の教示もなされていないのに、被控訴人らに別の手続で争うべきであったというのは、あまりに現実を無視した論理である。しかも、法律上の出訴期間が経過していることを承知でこのような論理を展開することは、結局、裁判所が不利益処分に対する争いの途を閉ざす論理を無理矢理作り出すことにほかならない。原判決のこの論理は、控訴人らの主張を否定するための詭弁である。
(3) 各寮生宛の文書は適正な入寮許可取消手続ではない。
問題となるのは、各寮生宛に送られてきた「駒場学寮の在寮期間について」なる文書(甲23)であるが、この文書が送られてきたのは、1996年3月13日であって1995年10月の廃寮告示よりも5ヶ月も後のことである。しかも、その時期は冬休み中であり、これを受け取ることさえ困難であった。甲23は、上記の問題に加え、必要と考えられる個々人に対する説明や聴聞、不服申立手段の教示もないものであり(乙171)、適正な入寮許可取消処分と言えないことは明らかである。
退去命令(甲24)は、在寮期間が過ぎた後の一方的命令であり、何ら在寮生各人の言い分を聴取しようとの態度の見られないものであり、これも適正な入寮許可取消処分でないことは言うまでもない。
そして、この入寮許可取消処分は廃寮決定と密接な関係を有する以上、入寮許可取消の瑕疵は、廃寮決定にも影響を及ぼし、後述する裁量権濫用を根拠付ける事実となると解するものである。