4月19日第6回口頭弁論報告

第1 はじめに ・・・ 本件の特徴と本質

1 「学問の自由」と「大学の自治」

 日本国憲法は、「学問の自由」を定め(23条)、その一環として「大学の自治」を保障する。そして教育基本法は「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」「われらは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」(前文)と定め、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって・・・経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」(3条)と定める。
 これはユネスコも繰り返し明らかにしている、世界人類に共通の理想であり趨勢である。ユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997年 乙92)は、機関の「自治とは・・・意思決定、および学問の自由と人権の尊重、これらのために必要とされる自己管理」(17項)であり「自治は学問の自由が機関という形態をとったもの」(18項)だとし、国は機関の自治をさまざまな「脅威から保護すべき義務(を負う)」(19項)し、「人権および平和に逆行する目的のための知識と科学、技術の活用を防ぐよう努力」(22項)すべき公共責任を負うと規定する。また「21世紀の高等教育世界宣言−展望と行動−」(1998年 乙93)は、大学が、人権・民主主義・持続的発展・平和の主柱、その達成の「知的共同体」であり、21世紀の人類的課題の解決は高等教育にかかっており、とくに大学の批判的・先見的役割や「知的権威」が重視されている。
 またそれゆえに、高等教育は無償制を基本にしてすべての者に生涯を通じて開かれるとともに、その運営にはすべての者が関与し共同すべきであり、そこでは公的支援が不可欠とされる。そして教育方針についても、卒業した学生が人類的課題の解決に立ち向かえるよう、高等教育においては、学生を「批判的思考」や「創造性」を身につけた「市民」として育成すべきであり、また、大学の「知的厳密性」や教職員と学生との共同、そして学生中心の運営および「完全な学問の自由と自治」とが重視されなければならない。

2 全構成員自治に関する明文の確認書・協定

 東京大学は、先駆的に、こうした世界の趨勢である全大学人による自治の理念を具体化し、明文の確認書や協定書により大学の自治的規範として打ち立てて、現実に運用してきた。
 本件の舞台である東京大学駒場寄宿寮(以下「駒場寮」という)では、1934年に旧制第一高等学校の学寮として建設された当初から、自治寮として、明確な合意によって、管理運営を全面的に寮生に委ねられてきた。
 戦後、駒場寮が東京大学教養学部の学寮となった後も、自治寮としての管理運営権はそのまま引き継がれた。1951年以降の「矢内原方式」においても、寮自治会が入寮選考を行い、その内定者について大学側から入寮許可証を一括して受け取るという選考方法が行われてきた。1966年の合意でも、入寮選考の実質的権限が寮自治会にあることが明確に認められ、寮自治会の管理運営権が確認された。
 旧来の「教授会自治」のあり方を問う東大闘争の結果、1969年1月10日に学生側と大学当局とで締結された「確認書」では、大学の管理運営につき「学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成していることを確認する」と明記され、この内容が東京大学の最高意思決定機関である評議会決定でも確認された。
 この確認書を受け駒場寮でも1969年に「確認書」が締結され、教養学部長は寮自治会の交渉権と入寮選考権を再確認し、「矢内原方式」において形式的に出されていた教養学部長名の入寮許可証も廃止されることとなり、寮自治会の管理運営権は一層強化された。
 1984年には水光熱費の負担をめぐり約1年間にわたる交渉の結果、「合意書」および「確認事項」が締結され、「大学自治の原則の堅持」や「寮生活に重大なかかわりを持つ問題についての大学の公的な意思表明があるとき、・・・寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力すること」が確認された。
 このように、東京大学においては、寮の改廃を含む大学内の重要な諸問題については学生・寮生が固有の参加権を有することが繰り返し明文の確認書や協定によって明確に定められていた。すなわち、東京大学においては、全構成員自治や学生の参加権は、憲法原理や国際的趨勢であるだけでなく、大学の自主的な法規範として存在してきたのである。
 80年にわたる駒場寮の自治寮としての歴史のひとつひとつの場面で、教授や学生たちが、真摯な学問研究とともに、いや真摯な学問研究に携わるからこそ、大学人としての「知的権威」をかけ、膨大な時間と労力と熱情を投じて教職員と学生との共同や学生中心の運営に尽力してきたのである。この営為は、将来人類的課題の解決に立ち向かうべき学生が「批判的思考」や「創造性」を持つ「市民」として錬磨されるべき場を確保することでもあった。これらの事実の歴史的な重さは、21世紀を生きるわれわれを慄然とさせる。
 本件紛争の発端となった1991年における東京大学当局の駒場寮廃寮についての公的意思表明は、東京大学に確立するこうした自主的法規範に明確に抵触するものであった。廃寮の強行にあたっての「駒場寮廃寮は予算獲得の道具」だという一部教授の暴言や、電気水道の停止など暴力的実力行使による大学当局による自力救済は、大学人らしい理性を発揮して積み重ねられてきた先人の営為と対比したとき、あまりにも鮮やかな対照をなしている。
 本件は、わが国の大学が、施設の改廃・運用を決定する意思決定の手続きについて、全構成員自治の理念に沿った有効な自主的規範を一定範囲で持つことができるのか、それともいかなる意味でも自主的規範を定立する権能を有しないのかに関する、裁判史上初めての事件である。社会の各方面で活躍している多くの人々が本件の帰趨に注目している理由は、まさにこの点にある。

3 教育を受ける権利(憲法26条、教育基本法3条)

 ヨーロッパ大学史を専攻する櫻本陽一高崎経済大学講師は、その意見書(乙210)で、今日における教育の機会均等の保障に重要性について、多様な立場の人々がコミュニケーションをし相互理解をはかることで、教育制度が支配秩序の再生産に機能を純化させるのを防止し、民主主義の発展を可能にする役割を有すると述べている。
 学寮には、この教育の機会均等を保障する厚生施設としての意義があり、この意義は今日ますます重要になっており、駒場寮の必要性は一層強まっている。
 第1に、ユネスコで無償を基本とすべきものとされている大学の学費は、1970年代から現在の間に約70倍と高騰している。第2に、長引く不況のもとで完全失業率は最悪となり、大学生を抱えた家計を圧迫している。第3に、アジアなどからの留学生が増大している。三鷹国際学生宿舎は、水光熱費の負担や通学費の負担、そして通学時間によるアルバイトへの影響、さらに学生自治の欠如など、とうてい駒場寮の代替施設に値しないが、その三鷹国際学生宿舎でさえその入寮倍率は2〜3倍であり、申し込んだ学生のうち数百名は入寮できない。
 このような現状のもとで、本件被控訴人の請求が認容されるなら、駒場寮に頼って生計を維持している多くの学生にとって回復不可能な損害を与え、学生の教育を受ける権利を侵害する結果となる。

4 現代の教育の荒廃の中で

 「大学生の自殺急増の今なぜ」(乙180) この衝撃的な題の記事が週刊誌アエラに掲載された。全国の大学生と大学院生の約半数が加入する大学生協連によると、遺族に給付金を支払った学生の自殺者数は、2000年度は10年前の5倍近い。
 現代の若者は、幼い頃から受験戦争を強いられ、孤独な競争の中で育ってきた。携帯電話やメールなど、気軽に出来る通信手段の広がりに反して、人間関係は薄まってきている。人間への不信、社会への不信が広がり、年少者による凶悪犯罪も後を絶たない。このような中で、駒場寮による寮生の共同生活や、駒場寮を舞台とする様々なクラス活動、サークル活動などが、若者の社会や人間への不信感を取り除き、社会への前向きな参加をなす契機となってきたことは、多くの関係者が証言している。
 新制東大発足当時からの駒場寮OB、学者、国会議員など多くの人が、公正な判決と駒場寮存続を求める共同アピール(乙209)に短期間で賛同を寄せいているが、それもまさに右のような体験に根ざす駒場寮への思いがあるからである。

5 駒場寄宿寮自治会による整然とした管理

 本件に先立つ明け渡し断行仮処分事件において被控訴人は、控訴人らを無秩序に入り込んだ不法占拠者と描き出そうとした。しかし寮自治会により整然と管理されている実態が明らかとなってその意図は失敗し、被控訴人らは、明寮、北寮、中寮の3つのうち本件建物である北寮、中寮について申し立てを取り下げざるを得なくなった。国が申し立てた裁判事件で、3棟のうち2棟について申し立てを維持できなくなって取り下げた事態は、まさに前代未聞である。
 ここに見られるように、本件において、控訴人らには、寮の退居を甘受しなければならない債務不履行や義務の懈怠などの落ち度はまったくないし、何らかの利己主義的な意図により不法占拠をはかる意思も当初からまったくない。
 むしろ本件控訴人寮生らは、現代の受験戦争をくぐり抜けてきた経歴から一般に想定される若者像とはまったく異なり、「批判的精神」と「創造性」を持つ健全で自治的な市民としての資質を高めつつある。
 学部当局による一方的で違法な廃寮宣言の後も、寮生らは寮自治会を中心にして、極めて平穏に、整然と、秩序ある寮の管理を続け、しかも法的紛争となった後もそれを学年から学年へと継承し、勉学に励みつつ大学内外の世論にも訴えて、駒場寮問題の大学人らしい理性的な解決のために努力している。
 在寮している側に何の落ち度もなく、先行した明け渡し断行仮処分事件における2棟取り下げの後は、単に「所有」「占有」という理論的枠組みを振りかざす以外に理由を示せなくなっているところに、各種の学寮に関する事件とはまったく趣を異にする、本件の大きな特徴がある。学寮に適法に入寮し整然と何の落ち度もなく勉学している学生は、当局により突然一方的に追い出されることを甘受しなければならないのか、という点こそ本件で問われているのである。
 なお、被控訴人は、学部当局が一方的に違法に廃寮を宣言した後に入寮した者はそれ自体が落ち度であるとの立論のようであるが、控訴人らの主張は寮自治会が直接占有者であるとの主張であり、寮自治会の占有の違法性が確定していない以上、寮自治会の入寮選考を受けて入寮した者についてこの立論はあたらないし、そもそもこの立論は、廃寮決定より前に入寮していた寮生についてはまったく成り立たない。

6 合理的な必要性の欠如

 被控訴人は、駒場寮を取り壊す必要性については何ら立証し得ていない。それは、何の合理的で具体的な必要性もないからである。「CCCL計画」なるものが先行する明け渡し断行仮処分事件で語られたことがあったが、この計画自体、廃寮を決定した後から作成したものである点に争いはないし、この計画のほとんどが断行仮処分事件で「緊急の必要性」として語られていたのと異なり今日に至るまで何ら進捗していない。
 おりから国の財政赤字は空前の規模で増大し、ひとたび決定した公共事業を凍結し見直すことが当然であるとされるに至っている。
 このような時代の変化の中で、なお数十年の使用に耐える堅固な建物であり学生にとっての利用価値の高い駒場寮を解体しなければならない合理的必要性は、一層見出し難くなっている。
 この点については、2001年3月21日、控訴人側が行った東京大学駒場学寮(中寮)コンクリート強度等調査により、いっそう明らかとなった(調査結果報告書 乙207)。
 コンクリート強度は、建物の耐久性および耐震性に影響を及ぼす重要な要因の一つである。そこで、コンクリート強度の把握を目的として構造躯体からコアを採取し、強度の確認を行ったのである。
 その結果、本件建物は全ての値において考えられる当時の設計基準強度を上回っており、コンクリートの強度が現在に至るまで保持されていることが認められるのである。
 なお、右調査結果報告書では、上層階の中性化が認められているが、コンクリートの強度が保持されている以上、コンクリートのアルカリ回復措置を講じて中性化防止処理を行えば、駒場寮建物は十分に使用可能である。
 しかも、中性化防止処理にかかる費用は、多くても1棟2000万円程度であり(中性化防止処理概算見積書 乙208)、1億円以上と言われる駒場寮取り壊しにかかる費用よりも遙かに安いのである。

7 権限解釈の誤りと行政処分の不存在・重大な瑕疵

 原判決は、行政法上の論点について、ことごとく初歩的で基本的な誤謬に満ちている。これは、被控訴人の主張を鵜呑みにし、控訴人らの主張を検討すらしなかったものである。
 「法律による行政」は恣意的な行政権の行使を立憲民主主義的に制約するための法理であり、学生など市民の行政財産利用関係について権限を国以外の者に委ねることができない根拠とはならない。むしろ国自身の行政実務書には、具体的な法令上の規定がなくても行政財産の管理を国以外の者に委ねることができる旨が明快に述べられている。憲法により自治権を保障された大学に、何らの自主規範定立の権能もないという解釈論は、一層成り立たない。
 駒場寮の廃寮が寮自治会の権限を喪失させ個々の寮生の居住と勉学に権利を失わせるという重大な権利侵害をもたらすものである以上、東京大学当局による廃寮決定は行政処分としての裁量処分である。しかも、文部省所管国有財産取扱規程にも学内の自主規範に明確に反し、大学当局と寮自治会との長年の信頼関係を破壊する手法でなわれた以上、廃寮決定は重大な瑕疵を帯びて無効か少なくとも権利濫用にあたる。
 これに加えて個々の寮生に対する入寮許可処分の取り消しが適法になされた場合にのみ、寮生の占有権限が失われる。これは行政法の基礎の中の基礎である。ところが被控訴人は何らの行政処分もしていないし、仮に何らかの行政処分をしていたとしても、方式も欠け、手続きもとられず、一見明白な瑕疵のあるものである。個々の寮生に対して入寮許可の取り消し処分をしていない事実は、まったく争いもない。
 したがって、行政法上の諸論点については、多くを論ずるまでもなく、原判決の違法性は明白である。

8 学生の自治活動への敵視

 このように、本件における被控訴人の駒場寮廃寮は、大学の自治の原則にも東京大学で確立した自主的規範としての全構成員自治の確認書・協定にも明白に違反し、何らの落ち度もない学生・寮生の教育を受ける権利を奪い、しかも寮生にかかる深刻な不利益を負わせるに値する合理的な廃寮・解体の必要性は何ら主張立証されていないし、主張も転々と変遷しているばかりか、行政法上の論点に至っては、手続も実体的意思もその時期を含め曖昧模糊として関係者の証言と主張が齟齬する始末である。
 これは何を意味するか。
 学生が共同生活の中で自治的能力を高め、大学内の様々なクラス・サークルその他自治的諸活動にも不可欠の場所である駒場寮を廃寮し取り壊すことで、学生の自治活動それ自体を困難ならしめるという、自治活動の敵視が、本件廃寮の真のねらいであることを示している。これは、文部省が繰り返し求めてきた自治寮の廃止の強要に、ついに東京大学当局が屈服しようとしていることを意味する。
 ここに本件の本質がある。
 この狙いを法的に評価すれば、廃寮と明け渡しの請求は、寮生らに損害を加える目的で、何らの合理的必要性もないのに、定められた大学の自主的規範に反する手続きで決定した、寮自治会らに対する積極的加害意思に基づくものであり、権利濫用であることは明白である。

9 仮執行宣言の異常性

 原判決は、金銭請求ではなく学生らの勉学生活の場に関わる本件明け渡し訴訟について、明け渡しの緊急の必要性を何ら認定することなく、明け渡しの執行により寮生に回復しがたい損害が発生するにもかかわらず、漫然と仮執行宣言を付した。この違法性は多言を要しない。

10 小括

 個々の論点については以下において詳論するが、裁判所におかれては、本件の歴史的重大性と、明文による大学の自主的規範が確立して大学における紛争である点、そして、寮自治会による整然とした管理がなされる中で、何ら学生に落ち度がなく、かつ、合理的な明け渡しや取り壊しの必要性が認められないのに、明け渡し請求がなされているという本件の特徴を、十二分にふまえた判断が期待される。
 とくに、「所有+占有」という形式論に拘泥して提起された本件に関し、歴史の批判と検証に耐える内容の判決を下すことを、冒頭に切に求めるものである。


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