4月19日第6回口頭弁論報告

第12 仮執行宣言は違法である

1 仮執行宣言付原判決が投げかけるもの

(1) 仮執行宣言と駒場寮の解体強行

 原判決は、控訴人(被告)らに被控訴人(原告)に対する駒場寮建物の明渡を命じたばかりか、「この判決は仮に執行することができる」との仮執行宣言を付している。原審の明渡判決そのものの誤りは本準備書面で詳しく明らかにしているが、判決に付された仮執行宣言そのものも重大な問題をはらんでおり、原判決の誤謬をいっそう明らかにするものになっている。
 言うまでもなく、仮執行宣言は直ちに被控訴人(原告)の強制執行を可能にするものであり、そうなれば現に駒場寮に居住している控訴人(被告)らは、上訴中にもかかわらず駒場寮から放逐されて生活と学問の場を奪われることになる。しかも、被控訴人(原告)の本件明渡請求は「廃寮決定」にもとづく駒場寮の解体を目的とするものであるから、強制執行はすなわち駒場寮の解体強行を意味している。
 そうなれば、上訴審において原判決の取消・変更が行われたとしても、控訴人(被告)らが戻るべき駒場寮はすでに存在せず、控訴人(被告)らが失った生活と学問の場が回復されることはない。そして、強制執行によって控訴人(被告)らが奪われるものは、駒場キャンパスでの学生生活そのものとも言うべき人格に関わるものであるから、後日の金銭賠償等によって損害が償われることもあり得ない。
 これらは、被控訴人(原告)に用法違反や債務不履行といった有責原因がないにもかかわらず、「廃寮決定」のみを理由として提起された本訴訟ではじめから明らかなことであった。こうした本訴訟について原審が付した仮執行宣言は、有責原因もない控訴人(被告)らを、上訴中にもかかわらず、いかなる補償もないままに住居から放逐しようとしたことを意味しているのである。
 民間賃貸借契約をめぐる明渡請求の紛争は無数に存在するが、有責原因のない居住者にいかなる補償もないままに無条件の明渡を命じ、ましてや上訴中にもかかわらず仮執行によって住居の放逐を強要するなどという判決は、まず類例を見ない。
 では、大学と学生間の「寄宿寮在寮関係」であるということのみをもって、民間賃貸借ではおよそ考えられないこのような事態が許容されるのか・・これが原判決の仮執行宣言の投げかける第一の問題である。

(2) 仮執行宣言は正常な解決の道筋の封殺

 問題はこれにとどまらない。
 本件の問題は、旧制第一高等学校(以下、「旧制一高」)以来の伝統を持つ駒場寮の一方的廃止決定をめぐる問題として社会的にも大きな関心を集めており、駒場寮で青春時代を過ごした卒業生や大学人をはじめ数多くの関係者が胸を痛めてきた問題である。また、本問題で問われてきたものは、東大闘争に際しての確認書をはじめこれまで東大関係者の努力と英知によって積み重ねられてきた大学の自治そのものであり、これは日本国憲法が保障した憲法上の理念でもある。
 駒場寮問題とはまさしくこのような社会的な問題であり、その問題解決のあり方が、東京大学そのものへの信頼や今後の大学の自治のあり方に重大な影響を及ぼす問題である。
 こうした問題の性格からすれば、大学の自治への努力を積上げてきた関係者の協議と努力のもとで問題解決に至ることが望ましいことは、およそ良識を持つ者であればだれしも考えるところであろう。とすれば、民事訴訟もまた、最後までその可能性を模索する姿勢を堅持し、少なくとも良識的解決の道を封じない配慮が払われてなければならない。
 原審の仮執行宣言がそのまま強制執行に至り、解体強行に至っていたとき、駒場キャンパスに取り返しのつかない混乱を引き起こしたことはあらためて指摘するまでもないだろう。それは旧制一高以来の駒場寮のあまりにも無残な「終末」であり、旧制一高や東京大学そのものの名誉を失墜させるものともなったであろう。そして、こうした「破局」というべき事態に至ったとき、関係者の冷静な協議による解決の模索などおよそ望み得なくなることもまた自明のところであった。
 原審の仮執行宣言は、大学の自治にかかわる社会問題について、上訴審の審理や判断を経ない段階での強制執行−駒場寮解体強行という事態を引き起こし、大学関係者の協議による解決の道筋を司法の手で封殺しようとしたことを意味している。これがこのような社会的な問題について民事司法が果たすべき役割か・・これが仮執行宣言が投げかける第二の問題である。

(3) だれが「破局」を防いだか

 原審判決から1年、幸いにして現実には駒場寮の解体は強行されておらず、協議による解決の道も完全には封じられてはいない。これは控訴人(被告)らが、自らの努力で仮執行宣言への執行停止の決定を得た結果にほかならない。そのために控訴人ら(被告ら)がはらった努力がどれほどのものであったかは、3000万円という預託された保証金の金額が物語っている。
 資力に乏しい控訴人(被告)ら学生は、あるいは世論に訴え、あるいは自らの勉学費用を拠出して巨額の保証金を調達し、それによってかろうじて学生生活の場を守るとともに、解体強行を防止して正常な問題解決の道筋を守り抜いた。
 仮にも、現在駒場寮問題が「破局」というべき事態に立ち至っていないのは、被控訴人(原告)らのこうした努力の賜物であり、現に「破局」に至っていないことをもっていかばかりでも原審で仮執行宣言を免罪するものではない。
 問われるべきは、このような問題について安易に仮執行宣言を付した原審の姿勢そのものなのである。

2 仮執行宣言の性格と運用

(1) 裁判を受ける権利と仮執行宣言

 日本国憲法は、「裁判所において裁判を受ける権利」(第32条)を保障しており、これは控訴人(被告)ら学生をふくめたすべての人の基本的人権である。しかして、この「裁判所」とは憲法および法律で設置された権限のある独立の裁判所を意味しているから、第一審たる地方裁判所のみならず、上級審たる高等裁判所、最高裁判所も当然に含まれているから、「上訴の権利」が基本的人権である裁判を受ける権利の重要な一部を構成することは言うまでもない。
 次に、民事訴訟法は判決の確定をまって執行力を付与することとにしているのであり、「確定なければ執行なし」がわが国の民事訴訟の大原則である。そして、第一審での原告の勝訴によって直ちに執行力が生じて原告が強制執行によって満足的解決を獲得し、被告がその負担を甘受しなければならないとなれば、被告にとっての上訴の意味は画餅に帰す場合が多いのであるから、確定による執行力の付与は裁判を受ける権利の重要な一内容を構成していると考えねばならない。
 仮執行宣言制度は、こうした裁判を受ける権利を前提にして、「確定なければ執行なし」の原則の例外として未確定の判決に執行力を付与するものであり、そもそも慎重に運用されねばならない性格を持っているのである。

(2) 民事訴訟の構造と仮執行宣言の性格

 民事訴訟制度の構造からも仮執行宣言の抑制的性格は明らかである。
 前記のとおり、わが民事訴訟は敗訴者に上訴が許され、上訴が提起されれば原判決が確定を遮断されるという原則のもとに存在している。この制度のもとで、民事訴訟による満足の実現をめざした以上、上訴によって勝訴原告の満足の実現が遷延されるのは本来やむを得ないことであって、仮にもその犠牲を敗訴被告に転嫁して被告の裁判を受ける権利を制約することがあってはならないはずである(学説もこの点を強調するものが多い。滝井繁男「控訴または督促異議の申立て伴う執行停止の要件及び手続」民事訴訟法大系 理論と実務 第4巻など)。
 それゆえに、仮執行宣言は例外的に個別的に与えられる特別な利益とされてきたのであり、仮執行宣言を「判決未確定の間に仮執行するという特別な利益」とし、強制執行後に原判決が取消された場合に、「仮執行と相当因果関係にある全損害」(慰謝料を含む)の無過失賠償を肯認した最高裁判決(昭和52年3月15日付 民集31巻2号289頁)もこの立場に立っている。
 この判決は旧民事訴訟法による仮執行宣言についてのものではあるが、民事訴訟法改正によって、通常訴訟における仮執行宣言の規定は全く変わっていないのであるから(旧民訴法第196条@、現行民訴法第259条@)、現行民事訴訟法においてもこの判例はそのまま妥当している。
 現在の民事訴訟法においても、仮執行宣言はあくまで例外的な「特別な利益」とされているのである。

(3) 民事訴訟法改正と仮執行宣言

 1996年(平成8年 以下、年号は西暦の下2桁で表記)に行われた現行民事訴訟法への改正の検討過程で、仮執行宣言と執行停止が重要な検討項目のひとつとなったことは周知のところである。
 さまざまな角度からの検討を経た後の通常訴訟第一審についての結論は、
@仮執行宣言については旧民訴法と同一の手続・要件を維持し、
A執行停止については要件を定めて一定の制約を課した
というものであった。このことは、仮執行宣言についての従来の解釈を継続・維持するともに、執行停止による現状の維持が困難になったのに対応していっそう仮執行宣言の発令についての慎重な検討を要求するものとなったことを意味するはずである。
仮執行宣言については、上記の改正過程で指摘された以下の諸点もまた十分に考慮されるべきものである。
@一審判決の控訴審での変更率が低くないこと
原判決の取消率が20数%、控訴審既済事件数の40%前後が和解で終了していることからすれば、控訴の意味は十分にある。
(信濃孝一「執行停止」 新民事訴訟法の理論と実務(下))
A仮執行宣言が付されても現実に執行に及んでいる事案の割合が決して高くないこと
 大阪高裁昭和44年の統計では、339件中239件は執行文付与が請求されておらず、そのうち143件は執行停止が申立てられていない(滝井繁男・前掲)。このことは、上訴中の強制執行による満足が妥当な解決を導かないという社会的認識があることを示しており、安易な仮執行宣言は司法の「過剰介入」ということになる
B「濫控訴の防止」の強調は当事者公平の理念に反すること
 仮執行宣言による抑制は被告控訴についてのもので、原告控訴を抑制する方法はないのであるから、その強調は被告の立場を著しく不利益にしかねない。
 以上からすれば、金銭請求にほぼ限定されていたかつての運用が変容し、「財産権上の請求」であればほとんど仮執行宣言が付される傾向があるのは、重大な問題と言わざるを得ない。もし万一、その底流に「控訴が多すぎるので抑制したい」という裁判所の政策判断が働いているとするならば、裁判所の人的・物的事情によって裁判を受ける権利の制約をはかっているものと言わざるを得ず、国民の裁判所不信を高めることにしかならないであろう。
 少なくとも、このような姿勢で事件の内容・性格・社会的意味を無視して漫然と仮執行宣言を付するなどは、裁判所自らが違法を行うものとならざるを得ないのである。

(4) 仮執行宣言の要件と本訴訟

 民事訴訟法における仮執行宣言の要件は、「財産上の請求に関する判決」であることと「必要性がある」こと(必要性)であり(第259条@)、この「必要性」は、
@ 勝訴者側に即時の執行を特に必要とする事情のあること
A 敗訴者が主要な事実について自白しているなど、上訴において判決が取消し、変更される蓋然性の少ないこと
B 仮執行によって敗訴者に回復し難い損害を与えるおそれがないこと
を要素とするものとされている(注釈民事訴訟法(4)等、改正後の現行民訴法についての基本法コメンタール民事訴訟法(2)も同旨であり新旧民訴を通じての通説と考えられる)。
 これらは、裁判所が仮執行宣言を命じうる客観的要件であって、これらの要件を満たさない事案に付された仮執行宣言は違法である。
 仮執行宣言について裁判所に委ねられる裁量とはあくまでこうした要件・要素の審理検討にもとづいて行われるべきものであって、裁判所の自由裁量を意味しているものではない。でなければ、仮執行宣言は裁判所の「胸先三寸」に委ねられることになって、いかなる攻撃防御も不可能ということになるのである。
 以下、上記各要件・要素を本訴訟の性質・内容に沿って検討する。
 A 財産上の争訟
 本訴訟は財産としての駒場寮建物の明渡を求めるものであるという点で、確かに「財産上の争訟」の性格を有してはいる。しかし、本件の係争の対象には大学の自治や控訴人(被告)らの学生としての生活そのものという非財産的あるいは人格的価値を含んでいるのであるから、軽々に財産権のみに収斂できるものではない。
 そもそも民事訴訟法改正以前には住居や店舗にかかる明渡判決についての仮執行宣言は極めて慎重な扱いが行われており(債務者に強度の有責性がある場合は例外として)、「家屋明渡ないし家屋収去土地明渡訴訟などは、仮執行宣言を付与すべき財産上の請求に入らぬとするのが本来の姿」(清田明夫・判例評論229号など)とする学説があることも、「財産上の争訟」を無限定に拡大することを戒めるものである。
 B 判決の取消・変更の蓋然性が少ないこと
 この「蓋然性の乏しさ」は、「主要な事実の自白」や「抗弁の不提出」など訴訟の客観的側面から確認できるものでなければならず、原審の主観的心象を理由にするものではならない。でなければ、原審が「破棄されないはずだ」と信じさえすればどうにでも仮執行宣言を導きだせる理屈になり、「仮執行宣言をつけないのは裁判官が判決に自信がない証拠」ということにもなりかねないのである。
 本訴訟において、主要な争点となっているのは、大学の自治等にもとづく駒場寮管理権限の委譲や廃寮手続の適法性、権利濫用の成否等であり、「主要な事実の自白」などに類する要素が全くないばかりか、その多くは規範性をもった法的評価・判断の問題であって当事者の主張は真っ向から対立している。しかして、憲法上の理念である大学の自治を含んだ法的判断について、原審が上訴審の判断を忖度して「変更の蓋然性」を認定するなどは、三審制を没却するばかりか、最高裁判所を憲法判断についての終審裁判所とした憲法(第81条)の理念にも抵触するものと言わざるを得ない。
 よって、原判決について本訴訟に「取消・変更の蓋然性が少ない」などという要素は全く妥当しない。
 C 敗訴者の回復し難い損害のおそれがないこと
 強制執行によって駒場寮から放逐される控訴人(被告)らの損害が後日の金銭賠償等で到底償えるものでないこと、強制執行−解体強行が社会的問題である駒場寮問題の解決の道筋を封じる深刻な事態を引き起こすことは、すでに明らかにしたとおりである。
 社会的問題となっていない民事賃貸借関係においてすら、有責債務者を除いて仮執行宣言が慎重に運用され続けてきたのは、まさしくこうした損害の深刻さに着目したものであって、いっそう深刻な問題をはらむ本訴訟においてこの要素を肯認すべき理由は全くない。
 以上のとおり、本訴訟は、「財産上の争訟」に収斂させること自体重大な問題があり、「必要性」を基礎づけるべき2つの要素は全く認められないのであるから、本訴訟において仮執行宣言を付しうる場合とは、これら消極要素を凌駕するに足る「即時の執行を特に必要とする事情」が認定される場合に限定されることになる。
 この点については、項をあらためて次項以下で検討するが、もしこうした「事情」が認定され得ないのであれば、原審の付した仮執行宣言がたちどころに違法となることは明らかなのである。

3 原判決の認定から仮執行宣言は導けない

(1) 原判決の構造と仮執行宣言

 これまで本件駒場寮問題の性質から見た仮執行宣言の意味するものと、仮執行宣言制度の趣旨と要件について検討し、仮執行宣言を適法とする唯一の場合が、強度の「即時の執行を特に必要とする事情」が認められる場合しかあり得ないことを明らかにした。
 では、原判決は、どのような事実認定にもとづいて、「即時の執行を特に必要とする事情」を認め、仮執行宣言を付したのだろうか。
 驚いたことに、原判決からは、原審がどのように仮執行宣言を理解し、なにゆえに仮執行宣言を付与したかは全くうかがい知ることはできない。原判決の全文をいかに精査してみても、仮執行について言及した部分はなく、三審制の原則を超えて判決確定前に執行力をあたえるほどの緊急性を導き得る事実認定など認めることはできないのである。
 念のため、小見出的に原判決の構造を列挙すると以下のようになる(原判決の漢数字番号等は適宜洋数字番号に書換え 以下、同)。
第1 請求
第2 事案の概要
1 前提事実
 (1) 当事者、(2) 廃寮までの管理、(3) 廃寮に至る経緯
 (4) 廃寮後の状況
2 争点
3 争点に対する当事者の主張
 (1) 法律上の争訟性、(2) 被告らの本件建物の占有
 (3) 被告らの占有権限、(4) 廃寮決定の効力
 (5) 権利の濫用
第3 争点に対する判断
 1 法律上の争訟性
 2 被告らの本件建物の占有
 3 駒場寮自治会への管理権限の委譲
 4 廃寮決定の効果
 5 権利濫用
 上記「小見出し」的列挙を一瞥するだけでも明らかなとおり、この原判決には仮執行宣言の適否について検討した項目もなければ、その必要性を裏づける事実を認定した部分もない。そもそも、長文の原判決のなかで、「仮に執行」なる表現が登場するのは主文のみであって、「事実及び理由」のなかには仮執行に関わる表現すら見出せないのである。

(2) 事実認定は仮執行宣言を基礎づけていない

 仮執行宣言の必要性について一言も論及しない原判決は、明渡請求をめぐる事実認定のなかで、いかばかりでも「即時執行の必要性」「緊急性」にかかわる検討や認定をしているだろうか。これまた原判決をどのように読んでみても到底その痕跡を認めることはできない。
 前記の「小見出し」的列挙からも明らかなとおり、原判決の事実認定は、「第2 事案の概要」中の「前提事実」と「第3 争点についての判断」に2分されている。
 この2つのうち判決の中心となるべき「争点についての判断」中には、「即時執行の必要性」はおろか「明渡の必要性」に言及した部分も全くない。このことは、上記の「争点整理」のなかで唯一実質論に踏み込むはずの「権利の濫用」論についての判断に、「明渡の必要性」に触れた部分が皆無であることに現れている。
 「事案の概要」についてはどうか。
 大部分を抽象的な形式論に費やして実質論に踏み込む部分が乏しい「事案の概要」部分のなかで、かろうじて「必要性」にかかわると思われる部分が見出せるのは、以下の3箇所しかない。
それぞれについて検討を加える。
 A 「廃寮に至る経緯」の発端部分(第2、1、(3) P10以下)
 91年8月に三鷹国際学生宿舎予算化の可能性が急浮上したので、9月の教授会で駒場寮・三鷹寮の廃寮を決定したというのが要旨。
 これが現時点での「緊急性」には全く結びつかないことは、すでに10年を経過し、三鷹国際学生宿舎が完成していること自体から明らかだろう。
 B 「廃寮に至る経緯」の半ば部分(第2、1、(3) P15以下)
 93年6月に、前記三鷹国際学生宿舎の建設に伴って、教養学部が福利厚生施設及び風致地区とする跡地利用の再開発計画(CCCL駒場)を立てて、学生らに公表したというのが要旨。
 これまた現在からすれば8年前の「跡地利用計画」にすぎず、計画があることが現時点での「緊急性」にはおよそ結びつかない。
 C 「廃寮後の状況」の最後の部分(第2、1、(4) P28以下)
 教養学部が駒場寮廃寮後、図書館等の建設を予定して予算を要求しているが、明渡・解体ができないので予算措置が講じられないというのが要旨。
 上記の再開発計画(CCCL駒場)がなお存在して、予算要求が行われているというだけのことで、ここから「緊急性」などは全く引き出せない。明渡・解体がなければ前記計画が全く進まないのか、そうでないならなぜ部分的な予算措置が獲得できないのか、部分的予算措置も獲得できない状態で、なぜ「明渡・解体があれば全予算がつく」ことになるのか・・等々を反問すれば答えはおのずと明らかだろう。
 以上のとおり、原判決のどの部分を抽出しても、「即時の執行を特に必要とする事情」を基礎づける事実など、認定のなかに存在していない。これでは、原審は、仮執行宣言を付すべき「必要性」について全く審理しないまま、漫然と仮執行宣言を付したと考えるしかないのである。

(3) 原判決の仮執行宣言は違法である

 すでに述べたとおり、仮執行宣言の付与は民事訴訟法の要件(第259条@)を満たしてはじめて可能となるものであり、「必要性」要件もいくつかの要素の審理検討によって判定されるべきもので、決して裁判所の「内心」に委ねられたものではない。にもかかわらず、原判決にはこれら仮執行宣言の要件、必要性について審理検討を行った形跡が全く認められないばかりか、原判決の事実認定のどこからも必要性を基礎づける事実は見出せない。
 よって、原判決の付した仮執行宣言は、法の求める要件を満たさないままに付されたものであって違法であり、取消を免れることができない。
 また、原判決は、仮執行宣言についての判断理由を明示しないばかりか、理由中に仮執行宣言の要件を基礎づけるべきいかなる事実認定も行っていない。かかる判決が許容されるのであれば、被告は理由も明示されないままに強制執行を受けることになるのであって、被告の蒙る損害ははかりしれない。
 こうした原判決には、理由不備の違法も存在すると言わざるを得ない。

4 控訴審での仮執行宣言の許容は許されない

(1) 控訴審と仮執行宣言

 前項までに明らかにした仮執行宣言の趣旨と要件は、そのまま控訴審における審理と判断にも該当するものであり、最終審でない控訴審においても慎重な仮執行宣言の運用が行われねばならない。
 控訴審の仮執行宣言については、民事訴訟法改正によって、金銭の支払の請求に関する判決について、申立があるときには不必要と認める場合を除いて仮執行宣言の付与が義務づけられることになっている(民訴法第310条)。これは「確定なければ執行なし」の原則と例外を、金銭請求の控訴審判決の場合について逆転させたものと言うことができる。
 留意すべきは、この逆転はあくまで金銭請求の場合に限ってのものであり、金銭執行(あるいは仮執行宣言による金銭弁済)であれば上告審による取消・変更があっても損害回復が容易であることがその理由とされていることである。
 金銭執行以外のその余の訴訟については、これまでと同様に仮執行宣言は例外的な特別の利益とされているのであって、これは民訴法第310条の反対解釈から当然に導かれる結論である。前記変更を口実に控訴審の仮執行宣言全体が安直な運用に流れてはならないことは、あまりにも当然である。

(2) 被控訴人(原告)の主張は「緊急性」を裏づけていない

 第一審、控訴審を通じて、被控訴人(原告)が明渡請求の実質的理由として主張するところは、
@ 駒場キャンパスの再開発を行う「CCCL駒場計画」が作成されているが、駒場寮の解体ができないため跡地付近に建設予定の「メディアセンターと一体となった図書館」「スポーツスクエア」「食堂・購買部」の建設ができない。
A 駒場寮が解体できないとこれらの予算要求が認められる可能性が乏しい。
という点にすぎない(被控訴人(原告)原審準備書面(5) p7、控訴審準備書面(1) p35)。
 これは原判決が「事実の認定」「廃寮後の状況」の最後の部分で抽出しているところとほとんど同旨である(3(2)C)。この「CCCL駒場計画」の性格や経過・内容については、控訴人(被告)らの原審準備書面で詳しく明らかにしおり(控訴人(被告)ら原審準備書面(8)第2、原審最終準備書面第4、2)、本準備書面の権利濫用の主張においても更に整理しているので、ここでは詳しくは繰り返さない。
 仮執行宣言との関係で重要なことは、上記計画がどのような計画であろうとも、その「CCCL駒場計画」が緊急不可欠なものとして実行が求められ、そのために駒場寮の明渡が必要になったという関係には全くなっていないことである。
 原判決も摘示するとおり、駒場寮の「廃寮」は91年8月の三鷹国際学生宿舎の予算措置急浮上に伴って決定されたものであり、その三鷹国際学生宿舎はすでに建設が終わっていて「駒場寮解体がなければ執行した予算の返還が求められる」などという関係にはなっていない(国家予算の性格もから自明だろう)。
 「CCCL駒場計画」とはこうした経緯を経た上で、駒場寮が解体できた後を想定して構想された「跡地利用計画」にすぎないのである。
 建物の明渡を求めようとする側が、建物解体の後の「跡地利用計画」を作成することは異とするに足りず、ほとんどすべての明渡訴訟はなんらかの「跡地利用計画」を伴っているだろう。では、明渡請求の直接の理由でも動機でもない「跡地利用計画」があとから付加されたことによって、その明渡請求についての「即時の執行を特に必要とする事情」を認定することが許されるか。
 もしこのような論法が通用するなら、「しばらく空き地にしておく」ことを目的にした請求でもない限り、明渡請求には自動的に仮執行宣言の必要性が具備されることになり、「明渡の請求に関する判決について、申立があるときには不必要と認める場合を除いて仮執行宣言を付さねばならない」との「法理」を生み出すに等しい。
 これが仮執行宣言の制度趣旨にも、民事訴訟法の明文にも真っ向から背反することは論じるまでもないだろう。

(3) 「緊急性」がないことはますます明らかになっている

 そればかりではない。
 控訴審の審理を通じて、被控訴人(原告)が金科玉条のように振りかざす「CCCL駒場計画」なるものの実態はいっそう明らかになっている(控訴人ら準備書面(2)第1)。
 この点も本準備書面の権利濫用の主張部分で整理するが、要点のみ列挙すれば以下のとおりとなる。
@ 被控訴人(原告)がしきりに「メディアセンターと一体」と強調する図書館は、00年度に予算措置が講じられ、02年3月に完成予定となっている。他方、「メディアセンター」は将来の増築分として構想されているが、具体的な設計にもかかっていない。
A 「スポーツスクエア」は、使用可能で現に使用されている体育館やプールがあり、学生から建替の要求など全く出されていないにも関わらず、一方的に構想された「将来の計画」にすぎない。
B 「食堂・購買部」は、東京大学生活協同組合の経営にかかるものであるところ、同生協は食堂・購買部の移転を決定してはおらず、具体的な検討すら行われていない。
 これが被控訴人(原告)が唯一の「実質上の理由」とする「CCCL駒場計画」の実体であり、現に実行に移された図書館を除いてはほとんど「空中楼閣」に等しいことは多言を要しないであろう。

(4) 90年代とはどのような時代だったか

 被控訴人(原告)によれば、この「CCCL駒場計画」が発表されたのは93年6月だそうであり(とすれば構想はもっと以前からということになる)、発表から数えてもすでに8年を経過している。その8年間のこの国の政治・経済の展開がどのようなものであったか、国家財政や公共投資をめぐってどのような事態が生じどのような世論が渦巻いてきたか。
 激動の90年代のなかで明らかにされてきたもの、それは、
@ 国家財政にも資源にも限界があり、公共投資のあり方そのものが見直されねばならず、
A それゆえに現存する資源を最大限に有効に活用し、環境と調和した21世紀の社会を築いていかねばならない
という冷厳な真理ではなかったか。
 そのためには国家・自治体やその機関がひとたび決定した事業であろうとも、それに固執せずに状況に応じて対応していく柔軟な模索が求められるのであり、政府や自治体のなかでもこのような動きが続いていることは周知のところであろう。
 にもかかわらず、被控訴人(原告)は90年代初頭に構想した「CCCL駒場計画」を金科玉条のように振りかざし、駒場寮が存在することがその妨害物であるかのように述べ立ててその解体を強行しようとし続ける。90年代から21世紀に向かう歴史の趨勢からするならば、これが歴史への逆行であることはこれ以上指摘するまでもないだろう。
 あえて付言しておこう。
 東京大学は学問の府として政治・経済・社会全般にわたる幾多の研究成果を生み出し続け、学問・理論を牽引し続けてきたはずである。その学問の府が自らの「計画」のみに固執して歴史に逆行しようとし、そのために大学の自治の構成員と認めたはずの学生を上訴中にもかかわらず住居から放逐し、自らが守りはぐくんできたはずの駒場寮をやみくもに破壊しようとする。
 これは学問の府の自己否定であり、東京大学の歴史そのものを汚辱にまみれされることにほかならないのではないだろうか。そして、民事司法がこれに加担するならば、自らもまたその責任の一端を負担しなければならないのではないだろうか。
 これこそ仮執行宣言問題で問われるべき本質的な問題なのである。

5 小括

 以上、原審の付した仮執行宣言をめぐって、
@ 仮執行宣言の付与が投げかける深刻な問題を指摘し、
A 日本国憲法と民事訴訟法のもとでの仮執行宣言の趣旨とあり方を検討し、
B 原審の認定から仮執行宣言の付与を導けないことを明らかにし、
C 本件には仮執行宣言を付すべきいかなる「緊急性」もないことを明らかにした。
 もう一度原点に戻る。
 わが国の民事訴訟は「確定なければ執行なし」との大原則を採用しており、仮執行宣言はその例外としての「特別な利益」にすぎない。また、司法が三審制を採用したゆえんは、訴訟当事者の裁判を受ける権利を保障するとともに、慎重な審理・検討を重ねることによって適正な結論を導こうとすることにある。そうだとすれば、控訴人(被告)らの学生生活に直結するばかりか、大学の自治にかかわり、東京大学の今後のあり方にもかかわる本訴訟ほど、慎重な審理・検討による解決の模索が必要なものはないだろう。
 原判決の仮執行宣言は、民事訴訟法の求める要件を満たさないものに付されたという意味でも、強制執行によって「破局」とも言うべき混乱を引き起こして致命的な社会的損失を招くことになるという意味でも、明らかに違法であって取消を免れず、控訴審の現時点においても、被控訴人(原告)には「即時の執行を特に必要とする事情」など全くないのであるから、仮にも控訴審においてこれを許容することがあってはならないのである。
以上


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