過去の破壊は最大の犯罪
小川 晴久(教養学部教官 東洋思想史専攻)

 「破壊された過去はもはやけっして戻ってこない。過去の破壊は、おそらく最大の犯罪である。今日では、残存するわずかな過去を保存することが、ほとんど一つの固定観念となるべきである」(シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』、シモーヌ・ヴェーユ著作集第五巻、72頁、春秋社刊)
 三十年前の二十代の頃であったら、私は右の指摘を一笑に付していた。封建的なもの(身分制度、不平等、男女差別など)は一掃されねばならないと考えていたし、今も変りはない。私は象徴天皇制ですら廃絶すべきと考えている一人であり、この点今も変わりない。しかし十数年前から、私は大変遅まきながら、このままでは地球環境は危ない、北(先進工業国)が今の生活様式をそのまま続けていたら地球の生態系が破壊されてしまう、地球を使い捨てて宇宙に飛び出していけるというのは幻想で、人類は地球と心中するしかない、と気づいて以来、私は生態系は守らなければならないという保守主義者に変った。封建的な差別に反対し、象徴天皇制にも反対する保守主義者である。従軍慰安婦問題や南京大虐説に異を唱える「自由主義史観」グループの知とモラルの低さを嗤い、彼らと対決せざるをえない保守主義者である。秀吉の朝鮮侵略や 年の日本の朝鮮支配を日本の現在として考え続け、朝鮮の歴史を少しでも知らなければならぬと考える保守主義者である。北朝鮮のミサイル脅威には人権の思想で対処すべきだと考える保守主義者である。
 その私が今またもう一段深い悲しみの中にいる。先々週の日曜日(一月二十四日)東京大学(教養学部)当局は一五〇名のガードマンを雇い、寮生たちの反対を力で押し切って旧寮食堂(南ホール)をとり壊すべく三方にフェンスをはり、昨日(二月三日)寮生たちが阻んでいた西側にもフェンスをはり、旧寮食堂を完全に包囲し、取り壊しの態勢を確立したからである。
 昨日は朝方まで今学期最後の授業の準備のため頑張り、午後四限のその授業を終えて、70〜80%の満足度と心よい疲労感の中で私は五限のゼミに出ていた。夕方六時頃寮生が教室に訪ねてきて、私は昨日の大学側の二度目の「作業」を知ったのである。その瞬間私はショックと共に気持は重く沈んでいった。不覚ではあった。しかし力関係からいってフェンスはりや旧寮食堂(南ホール)の解体は時間の問題であったかもしれない。また大学当局としては、寮生にも一般学生にも、教師にも「迷惑」をかけず、週末ではなくウィークデーの朝早く抜打ち的にガードマンの力でフェンスはりの仕上げをしたことは、立場をかえていえば「よくやった」、「配慮のあるクリーンヒット」という評価もあるであろう。私は廃寮に反対であるし、建物は壊さず有効に使うべきだと主張してきたし、樹は一本も伐ってほしくないという立場であるから、ショックが殊の外深いのかもしれない。ふん切りが悪い、頭の切り替えができていない、総じて頭の悪い人間の自業自得を批判され、同情なんか何一つかわないかもしれない。しかし私はこの重い気持の前で正直であらざるをえない。
 旧寮食堂(南ホール)は、新入生の心ある諸君がこの一文を読む頃には跡かたもなくなっているかもしれない。平屋であるための深い屋根、南面は歴代の蔦が壁を蔽っている。外見は駒場寮のそれと同じでフェンスのある建物である。食堂であったから厨房の設備もある。私は三鷹寮を選んだので、寮生としてこの食堂を使ったことはないが、40年の間に何回かこの建物に入ったことはある。矢内原忠雄元総長(初代教養学部長)筆の「自由と平和」という額が掛っていた。私の思い出の中で忘れることのできないのは、一九六〇年の五月か六月であったと思う。六〇年安保闘争の最終局面で、この食堂をギッシリ埋めて全学連の主流派と反主流派がそれは見事な大討論会を開いたのである。当時はまだ七〇年安保(大学闘争)のときのようなゲバルト(鉄パイプほか)はなく、学生たちは言論戦で堂々とわたりあっていた。しかもその集会を前記の「自由と平和」の額は見下ろし、見つづけていたのである。
 もう一つ忘れられない思い出(光景)がある。たしか四年位前、駒場祭の最終日、寮委員会主催でここで寮存続を求める集会が開かれた。そのとき京都大学吉田寮を代表して山本君という学生さんが「学生(寮生)の自治は大学当局が認めるから成立し、認めなければ消える、そんなものではない、そのようなものは自治とは言えない」と言ったのである。私は目から鱗が落ちるような多大な感銘を受けた。この発言は旧寮食の自治空間の中で発せられたのである。
 このような自治空間が壊されようとしている。しかも大学当局と教授会によってなされつつあることが、もう一つ深刻である。大学の自殺行為にほかならないと考えるからである。このことを痛む気持は駒場寮という学生の自治空間(24時間の生活自治空間)が大学キャンパスの中から消えてはならないという立場に立脚しているので、その根拠を三つ記させてもらう。
 駒場寮も寮自治の管理の下にあった。食堂が機能しなくなり、この建物が南ホールと名を代えてからも寮生(学生)の自治空間であることにかわりはない。この自治空間は駒場という大学を構成する学生にとってとても貴重である。だだっぴろいだけに貴重である。いろいろなことに使えるからだ。すべての催しや集会が大学当局や教授会の許可の下でしか開けないとしたら、そこには自由はない。しかし内容のチェックや吟味は必要であろう。それは寮自治会が担当する。良識の範囲でなされる保障はこの自治にある。
 もう一つ大切なのはだだっぴろさ(大きさ)である。これは駒場寮の部屋の大きさにも共通する。ある程度の大きさの空間が人間が自由に生きていくのに必要である。小さい空間にしたければ仕切ればいい。その仕切りはいつでもとれることが大事だ。三鷹国際学生宿舎のような個室ではだめなのである。相部屋の天井の高い駒場寮の部屋は貴重である。
 三つめに建物がしっかりしている。しっかりした建物は修理して長う使うのがよい。すべて建て替えたとき、後にできた建物は例外なく貧弱で耐久性も劣る。50年以上たっている建物が歴史的文化財の候補になる一つの根拠がここにある。
 旧寮食堂(南ホール)が撤去されれば中寮と北寮の二つだけになり、外堀りが埋められた観がするかもしれない。しかし、この建物は頑丈だし、裁判は終わっておらず、何よりも寮生が数十名から百名近くここに自治意識をもって生活している。たしかに汚さが目につくかもしれない。これは掃除をし、修理すればよい。
 24時間過ごすことができ、夜中でもあかりの灯る生活空間が大学の中に在ることは、大学にあったかさを与える。駒場寮には60年以上の自治の伝統がある。部屋の中から見る窓外の緑の借景は駒場の中での一番の宝物かもしれない。しかも心が落着くのである。新入生諸君、学生諸君、そして同僚の教職員の皆さん、春から秋の緑の季節に一度寮の部屋を訪れ、中の椅子に腰を下ろして借景を一度でいい味わってほしい。この貴重な空間を、生態系を、効率や、社会的約束、の名の下に壊してしまっていいものか、考えてほしい。決定は途中で変更してもいいのである。変更することができてこそ英知である。壊してしまったらもうそれは戻ってこない。過去の破壊は、おそらく最大の犯罪であると私は自分の言葉として訴えたい。